ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「丁寧さ」こそ最強の武器と断言できる、歴史的事件とは?Photo: Adobe Stock

「丁寧さ」が生んだ歴史的事実

 コミュニケーションの問題は、今日の私たちも会社や家庭、さまざまな関係の中で直面しています。

 さて、ラテン語の特性のひとつに、相手を尊重し認めるという点があります。私たちがしばしば丁寧語の範疇で使う「お控えください」「ご注意ください」といった言葉は、ざっくり言うとラテン語的な表現です。「するな」「注意しろ」のような命令形ではなく、行動の主体である相手を尊重していますよね。

 私が外国で生活しながら感じたのは、韓国語が実に荒っぽい言語だということです。韓国語は、年長者であれば、相手が年下というだけでぞんざいな言葉づかいをしたりします。または地位によっても言葉づかいが大きく変わります。韓国社会ではこのような言葉づかいがまかり通るのですが、何度不快な思いをしたかわかりません。

無視できない歴史的な出来事

 それに比べてラテン語は、基本的に相手が誰であれ卑下することはありません。フラットな状態を前提としているのです。

 紀元前、古代ローマが地中海の国々を飲み込んで属州としていましたが、吸収された国の人々はローマに支配されたとは感じていなかったといいます。実際、古代ローマは属州出身者からも優秀な人材を起用し、ローマ帝国の教育や、経済、軍事分野に就かせました。

 言語は思考の枠組みです。相手についての尊重や配慮、公平性を持つラテン語が、ローマ人たちの思考と態度の寄り拠になっていたはずです。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)