ユーチューブで世界中にファンが広がった

 ローズパレード当日のことです。スタートの曲は「ダウン・バイ・ザ・リバーサイド」でした。黒人霊歌の名曲を、ポール・ヨーダーがマーチに編曲したものです。ヨーダーは初心者用のアレンジをたくさん残したアメリカ吹奏楽界の重鎮であり、京都橘では90年代初頭からずっと「ダウン~」をパレードメドレーの先頭曲としていました。

 パレードでは地元カリフォルニアばかりか全米から集まった大勢の観客が、大きな拍手と歓声で応援してくれました。指笛を吹き、「すごいぞ! いいぞ!」と叫ぶ人々に囲まれた9キロの道を、私も悪魔たちと一緒にバンドディレクターとして歩きました。冬だというのに気温は20度を超え、映画みたいな青空。私は正装の紺ブレザーだったこともあり、些か体力を消耗しましたが、踊りや演奏がないのですから、生徒たちの疲労度とは比べ物にならないでしょう。パレード本番の顧問というのは、生徒たちに目を配ったり、観衆の声援に手を振ったりするだけでいいのです。

 しかし、悪魔たちは楽器やフラッグを携え、演奏し、ステップを踏みながら行進するのですから、本当に暑かったことでしょう。ポイントポイントで立ち止まってダンス演技も披露するオレンジの悪魔たちは、それなのにキツさを微み塵じんも感じさせない、パワフルな笑顔。技術だけでなく体力も世界レベルに達していました。なかでも1年生が、パレード・デビューの「ブラスエキスポ」からわずか約8ヵ月後だというのに、誰ひとりリタイアせず、見事に歩き切ったのはあっぱれでした。

「あの子たちは奇跡だ!」
「なんて楽しそうなんだ。いつまでも見ていたい」

 パレードの様子がアメリカで大評判となり、やがて観客がスマホで撮影した動画がユーチューブで拡散したことで、オレンジの悪魔のファンは世界中に広がりました。

京都橘”“オレンジの悪魔”だけでなく、“OrangeDevils”で検索しても、何百万、何1000万回再生という動画を数多く見つけていただけるはずです。

 今も私のフェイスブックの友達にたくさんの外国人が並んでいるのは、だいたいが動画を見て熱烈な橘ファンになった人たち。アメリカを中心にヨーロッパの人もいますが、中米の人に熱烈なファンが多いのは、ラテンのノリがオレンジの悪魔たちと相通じるところがあるのでしょうか。

「あの橘の育ての親と友達になりたい」という指導者からの申請もあり、そういったものには応じています(まれにいる妙な人はブロックしていますが)。動画はそれ自体が生命体のように広がるらしく、いまだに地球の裏側から友達申請が続々と届きます。

ここでしかできない経験でオレンジの悪魔は育つ

 めったなことでは出演できないローズパレードに2012年、2018年と二度までも出演を果たしたのは大変な名誉です。

「どんな上位の大会で良い賞状をもらうことより、橘でしかできない経験をたくさんすることがもっと大切だ」

 これが私の持論ですから、ハワイでのホームステイと演奏会、ディズニーパレードへの参加、多様なイベント、テレビ出演などを経験させてきました。ローズパレードも、ほかではできない経験と言っていいでしょう。

 しかしローズパレードには、「卒業生も交えたオール橘のお祭り」という面もあります。帰国後、学校で行う報告演奏会をあたかも凱旋公演のように演出したのは、「オール橘のお祭り」とは別に、3年生のために特別な「引退ステージ」を用意してあげたかったからでした。

 大きなイベントを成功させ、それを自分のことのように喜んでくれる人たちの前で、思い切り最後の演奏・演技を披露する。それが私の演出意図でした。

 最高のステージが必要なのは、引退のときだけではありません。オレンジの悪魔たちには、3年間でできる限りいろいろな経験をさせようと、心に決めて実行してきました。それこそ、私の弱弱指導に欠かせない「プロデュース」です。

 リーダーの私は指導は直接せず、たくさんのチャンスや場を与える。そうすれば、「じゃあどうしよう?」と当人たちが考え始め、生徒たちによる弱弱指導がおのずとなされるようになります。それが大きければ大きいほど本気度も増すので、経験値が上がり、成長につながるというわけです。