50年前の1972年11月6日、北陸本線敦賀~南今庄駅間の北陸トンネルを走行中の急行列車で火災が発生し、乗客・乗務員30人が死亡、714人が負傷する「北陸トンネル火災事故」が発生した。悲劇はなぜ起きたのか。そして、事故の教訓は現在の安全対策にどう生かされているのか。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
乗客・乗務員30人が死亡した
50年前の北陸トンネル火災事故
事故を起こしたのは大阪駅を22時過ぎに出発する青森行き夜間急行「きたぐに」で、EF70形電気機関車が寝台車5両、座席車8両と郵便車、荷物車各1両を牽引(けんいん)していた。「きたぐに」は午前1時4分に敦賀駅を発車し、約2キロ先の北陸トンネルに向けて走り出した。
北陸トンネルはちょうど10年前の1962年に完成した最新鋭のトンネルで、在来線トンネルとしては当時、日本最長の13.9キロもの延長を誇っていた。
午前1時9分、トンネルの入り口から5キロほどに差し掛かった地点で「きたぐに」に異変が発生した。前から11両目の食堂車で火災が発生しているとの通報が寄せられたのである。後に出火原因は食堂車の電気暖房機用配線が老朽化によってショートし、過熱したものによると推定された。
11月3日は祝日、5日は日曜日の飛び石連休ということで列車はほぼ満員。乗員30人、乗客761人が乗車していた。現地に急行した車掌は、消火は困難と判断し、運転士に緊急停止を要請した。