自由民主主義が機能する米国では
権威主義的な選挙は通用しない

 トランプ氏の支持者が「米連邦議会議事堂襲撃事件」を起こした際も、議会機能が一時的に喪失する事態となったが、州兵が動員されて議会乱入者は迅速に鎮圧された。

 審議は再開され、トランプ政権で副大統領を務めたマイク・ペンス氏が「議事堂に災いをもたらした人々に言う。あなた方は勝利しなかった。暴力は決して勝利しない。自由が勝利する」と訴えた。そして、バイデン氏が次期大統領に正式に選出された。

 トランプ氏は、権力で議会を抑えることはできなかった。それどころか、トランプ政権側の人物が、三権分立と議会制民主主義の原則を順守した発言を行ったのだ。

 あのときわれわれが目にしたものは、強大な権力を持っているはずの米大統領(当時)が、議会や司法を掌握できず、権力の乱用によって選挙結果を操作できずにもがき苦しんでいた姿だった。

 むしろ、対立候補のバイデン氏の方が「すべての票が開票されるのを待つ」と泰然と構え、粛々と政権移行の準備を進めていた。トランプ氏は米国の自由民主主義のルールにのっとって「敗戦」という結果を突きつけられ、苦し紛れに「不正だ」と主張するしかなかった。

 今回の中間選挙では、共和党が力を増す結果となったが、バイデン大統領と民主党は不正を主張せずに結果を受け入れている。

 米国では自由民主主義が正しく機能しており、独裁者が掌握する権威主義国のような選挙は通用しないということを、共和党とその支持者は学習すべきだ。

 そして、この2年余り続けてきた不正選挙の主張が誤りであることを完全に認めるべきである。

米国・他国での「社会の分断」は
本当に起きているのか?

 ここからは、再三にわたって指摘される米国社会の「分断」について考えてみたい。

 米国では、ここまで述べてきたような党派間の対立が社会に波及し、分断と呼べるほど深刻化しているとメディアなどで論じられている。

 だが私は、この「分断」という表現は的を射ていないと考えている。

 社会が分断しているようにみえるのは、新たに政治に参加した層が、既存の政治参加者と政治的利益を巡って争うようになったからだ。

 対立が深まっているようにみえるが、政治への参加者が増えることは、社会にとって決してマイナスではない。

 というのも、トランプ前大統領の就任前は、共和党・民主党どちらが政権を担っても、富裕層と都市中間層の票を狙う「新自由主義」的な政策が続いていた。労働者は忘れられた存在だった。

 だが、トランプ前大統領の登場によって、政治から排除されてきた「ラストベルト(さびた工業地帯)」の白人労働者に政治的主張をする場が与えられた。