今回の中間選挙でも、トランプ氏は自身が推した上院議員候補が落選した際、「不正があった」と主張しているようだが、その根拠は不明瞭だ。また、事実上勝利した下院選においては、こうした趣旨のコメントを残していないとみられる。

 このように、自らが勝ったときは不正だったと訴えず、負けたときだけ不正だと騒ぐのは、都合がよすぎる。何より、筋が通らないではないか。

トランプ氏の「やりたい放題」を防いだ
米国の民主主義の健全性

 前回の米国大統領選挙では、トランプ大統領が選挙不正を大々的に訴えるなど混乱が続き、「自由民主主義の凋落」だと諸外国からも批判された。しかし私は本連載で、この米国の姿こそが、自由民主主義国の真骨頂であると評価してきた(本連載第258回)。

 なぜなら、落選した大統領が不正を訴えるという構図が、世界中でよく起こる「選挙不正」を巡る混乱とは真逆だったからだ。多くの場合、選挙で「不正だ、不正だ」と騒ぐのは、権力者ではなく対立する候補者の方である。

 同時期のベラルーシが顕著な例だ。大統領選挙で現職のアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が6回目の当選を果たしたが、不正得票などの疑いが続々と浮上。反政権派が選挙の不正を訴えて大規模な抗議活動が続いた。

 しかし、ルカシェンコ大統領は「わが国は前代未聞の挑戦を受けたが、革命は成立しなかった」と演説し、事前の予告なしに就任式を強行した。

 これに対して、対立候補だったスベトラーナ・チハノフスカヤ氏は、自分こそ大統領選挙の当選者だと主張し、徹底抗戦の姿勢を示した。だが結果は変わらず、チハノフスカヤ氏は政権の弾圧から逃れるために、国外で活動せざるを得なくなった。

 これが、世界の権威主義や全体主義の国々で起こる「選挙不正」の典型的な形だ。権力者は選挙で不正をやりたい放題で、反対派は世論を味方に徹底的に抵抗しようとするが、権力者はそれを弾圧して防ごうとするという構図である。

 米大統領選に話を戻すと、当時「不正だ」と騒いだのは、「政界最強の権力者」だったはずのトランプ氏の方だった。支持者が次々と訴訟を起こしたが、司法当局は「証拠がない」と多くの訴えを棄却した。

 権威主義・全体主義国家では、権力者が裁判所を抑え込むこともよくあるが、三権分立が厳格な米国では、大統領は権力を行使できなかった。