子どもに言いがちな「あなたの好きにしたらいい」「幸せになってくれさえすればそれでいい」という言葉。一見、子どものためを思う優しい言葉のようですが、実は、これが子どもの心を縛り付けてしまうこともある。そう語るのは、『子どもが幸せになることば』の著者・田中茂樹さん。共働きで4人の子を育てる医師・臨床心理士で、20年間、5000回以上の面接を通して子育ての悩みに寄り添い続けてきた田中先生は、子どもの息苦しさを増長させやすい言葉には1つの共通点があると言います。
正解の見えない子育ての謎。繊細な子どもの心に、大人はどのように触れればいいのでしょうか。今回は、『私の居場所が見つからない。』著者・川代紗生が、家族関係に息苦しさを感じていた当事者として、田中先生に疑問をぶつけます。「子どもが幸せになることば」とは、いったいどんなものなのでしょうか。(取材・執筆/川代紗生、構成/編集部:今野良介)
「あなたの好きにしていい」という言葉が苦しい
川代紗生(以下、川代):『子どもが幸せになることば』で衝撃を受けたページがあって。しばらく頭が真っ白になって、その先にすすめなかったんです。
田中茂樹(以下、田中):そうですか。どこだろう。
川代:「『好きにしたらいいのよ』とか『楽しく生きてくれたらそれでいい』という『願い』も、『要求』となって、子どもに同じような問題を引き起こす可能性がある」という言葉です。
私、泣いちゃったんですよ。というか、すいません、いまもちょっと泣きそうなんですけど。
田中:そうですか、うん。
川代:「あなたの好きにしていい」「幸せに生きてくれたらそれでいい」って言葉を、私、親から、祖父母から、先生から、いろんな大人たちから、繰り返し繰り返し、言われ続けてきてて。それは親が私のことを思って言ってくれてる言葉だし、それを「窮屈だ」なんて思っちゃいけないような気がしてた。
でも、田中先生のこの本に、「あなたの好きにしていい」という言葉が子どもを縛り付けてしまうことがあると書いてあって、やっと許されたような気がしたというか。
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。2014年から書き始めたブログ「川代ノート」が注目を集め、「親にまったく反抗したことのない私が、22歳で反抗期になって学んだこと」など、平成世代ならではの葛藤を赤裸々に綴った記事が人気を博す。「天狼院書店」の店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、看板メニューに。メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。現在は、フリーランスライターとして活動中。2022年2月、「生きづらさをエネルギーに変える方法」について模索したエッセイ『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)を出版。【Twitter】@kawashirosaki
田中:「好きにしたらいい」という言葉には、「あなたは私のために楽しく生きねばならない」とか、「幸せにならなければいけない」という要求の一面があって、子どもにとっては、実はやっかいなんですよ。本当に「好きにする」のを認めるなら、何も言わなければいいんですよね。
ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、子どもの健気さは、大人の想像を超えていることが、よくある。子どもは親のことが好きだし、真面目な子ほど、親の思いを果たそうと、背負い込んじゃうものなんですよ。
「操作的な会話」をやめられない親たち
川代:でも、まさか「幸せに生きてくれたらそれでいい」という言葉が縛りになると思わないじゃないですか。むしろ、子どもに伝える言葉としてベストだと思っている人も多いと思います。
田中先生は、どのタイミングで「これはちょっとやっかいかもな」と気づいたんですか?
田中:臨床心理士としていろいろな患者さんの話を聞いていると、多くの人が「幸せに生きてくれたらそれでいい」って言うんですよ。
私のところには、不登校や引きこもりのお子さんを持つ親御さんがカウンセリングに来るけど、いろいろ話を聞いていると、「きちんとしなさい」とか「これはやっちゃダメ」とか、指示をしてしまうケースが多いんですね。
そこで、私はたいてい「操作的な会話をやめましょう」「指示するのを控えましょう」と言うんだけど、すると「じゃあ、これからは『あなたの好きにしたらいい』って言うようにします!」って、みなさんおっしゃるんです。
川代:それ、私も同じ境遇だったらそうしちゃいそう……。
田中:「それさえ言わなくていいよ」って僕は言うんだけども、今度は「先生、だって、それ言わなかったら、あの子はずっと指示を待ち続けると思うんです。好きにしていいとわからないと思うんです」って。
川代:「本当に好きにしていいなら、何も言わなくていいんだ」とは、簡単には思えないかも。
田中:気づくまでに、時間がかかるんですよね。
この「好きにしていい」という言葉に関しては、ナンシー・マックウィリアムズが書いた、『パーソナリティ障害の診断と治療』(創元社)に興味深い話が載っています。精神医学の専門書で、ちょっと、衝撃的でもあるんだけど。
その中に、こんなことが書いてあります。
自身が苦境の中で成長した1950年代の自由主義的知識人の親たちが、自分の子どもたちに、おまえたちは楽しんでいなければいけない、そうでなければ悪い気がするべきだというメッセージをいかに送っていたかについて、この論文は描き出している。
川代:「おまえたちは楽しんでいなければいけない、そうでなければ悪い気がするべきだというメッセージをいかに送っていたか」って、なんだかすごいフレーズですね。
田中:ここで書かれている「苦境の中で成長した自由主義的知識人」に育てられた子どもたちは、抑圧が少なかったにもかかわらず、混乱して鬱になっていったりするんです。
川代:なるほど……。
「好きにしなさい」という、いちばん難しい命令
田中:この本の中で、マックウィリアムズが、さらにすごいことを言っている箇所があるんですよ。
「私とは違って、おまえはなんでも思いどおりにしてよい」というようなコミュニケーションはとりわけ破壊的だ。
なぜなら何でも思い通りにできる人間など存在せず、どんな世代もその世代なりの制約に直面するものなのだから。
そのように非現実的な目標に自尊心が左右される状態を親から受け継ぐのは有害なことである。
川代:うわあ。すごい話だ。
田中:これが、僕が「あなたの好きにしていい」という言葉の危うさを感じた理由ですね。川代さんが気づいたのも、こういうことじゃないかな。
「好きにしていいよ」って言われても、現実問題、そんなことできる人おらんやん、っていう。
川代:いや、まさにこれです。私が感じていたことって。
田中:すごく凄惨な目にあったユダヤ人の人たちは、子どもをなんの抑圧もせずに育てた。そうであるはずなのに、その子どもたちはストレスを受けていた。彼らは、そういう「好きにしなさい」「自由にしなさい」っていう実質的な「命令」を、最も難しい命令を受けていたわけですよ。
川代:私も、「あなたの好きにしたらいい」ってさんざん言われていたけど、本当は、「普通になりたい」という気持ちが強かったんですよ。
田中:普通になりたい。
川代:子どもの頃から不器用で、コミュニケーションも下手だし、空気が読めない。周りの子が当たり前にできていることが、当たり前にできなくて、劣等感があった。
私は自分の中にあるマイナスを、そもそもゼロにすらできてない。普通にすらなれなくて、まわりに迷惑をかけてばかりで、とりあえず迷惑をかけない人間になるために必死なのに、「楽しく、好きに生きる」「型にはまらず、自分に合った生き方をする」って、何段階も上のレベルを求められてる感じがしちゃって。
田中:「自由にしなさい」っていうのは、優しいように見えて、実はものすごく大きい要求なんですよね。
自分の気持ちがわからない「失感情症」とは
川代:でも、かといって、親を責めたいわけじゃ全然ないんですよ。心から私の幸せを願ってくれていたんだと思うし、だからこそそういう言葉が出てきたんだと思う。ホロコーストを生き残った人たちだって、「自分はこうだったら幸せだった」という最善の答えを、自分たちなりに行動で示しただけだと思うんです。私ももし子どもが産まれて親になったら、絶対に同じことを言いたくなっちゃうと思う。
でも、だからこそ、親の気持ちや優しさがわかるからこそ、それを窮屈に感じてしまうことに対しての罪悪感がすごくて。
田中:うん。
川代:でも、そんなこと言い出したら、何が正解なの? いちばんいい子育てって、何?って。あまりにも難しすぎて。
どんな育て方をしても、何かしらの生きづらさは絶対に生まれちゃうんだろうな、って……。
田中:そうですよね、難しい。僕にも何がいいとは簡単には答えられないです。どんな接し方がその子の元気をもっとも引き出せるのかは、人によってバラバラだから。
でも、一つ言えるのは、生きづらさは、絶対に生まれたらいけないものでもない、ってことなんですよ。
川代:そもそも?
田中:うん。生きづらさを全部取らないといけないわけじゃない。
川代:でも、誰しも、自分の生きづらさをどうやってとるか、いつも考えてますよね。
田中:はい。受験生の親御さんを見てると、ちょっとでも、我が子が生きやすい道を歩かせてあげたいんだろうな、と思いますね。ちょっとでもいい友達、ちょっとでもいい先生がいるところに……って、「子どもがつらい目に合わないため」に一生懸命。
でも、たとえば、それでがんばって医学部に入って医者になっても、患者さんに怒鳴られて途端に嫌になっちゃうとか、そういうこともあるじゃないですか。害になるもの全部を排除することはできないわけで。
川代:いずれにせよ、何かしら生きづらさは抱えることになる。
田中:傷ついたらいけないわけじゃない。むしろ大事なのは、その傷やつらさを味わいたいときに味わわせてあげること。
つらいことも、「すぐに忘れるためには」とよく言うけど、簡単に切り替えるなんてできないですよね。忘れたつもりでも、無意識には残ってるものなんですよ。意識から消えただけのことで、解決されない負債や傷として、心の中にずっと残ってる。
川代:「すぐに切り替えよう」としすぎることが、何か問題になることもあるんでしょうか?
田中:子どもの頃、つらい気持ちを吐き出さずに、ガマンする癖がついていると「失感情症」になる人もいますね。
川代:失感情症?
田中:「そんなことなんでもない!」「泣くようなことちがうやろ!」とか、非共感的な言葉ばかりかけて無理やり気持ちを切り替えさせてしまうと、子どもは自分の感情がわからなくなるんですよ。
だから、子どもが悲しかったり、寂しかったりするときに、親が寄り添ってあげるのはすごく大事なことなんです。つらいね、とか、痛かったね、とか、いまのそのネガティブな感情に共感すること。忘れさせたり切り替えさせたりするんじゃなくて、ちゃんと感情を味わって乗り越えるのを一緒にやってくれると、子どもは「悲しい」「寂しい」という言葉の意味を真に知ることができる。
逆に、ネガティブな感情を吐き出す練習がうまくできないと、疲れてるか疲れてないかわからない、しんどいかしんどくないかわからない、みたいな失感情症になるんですね。
危ないんですよ。これがうつや過労、突然の自殺などの原因になりやすい。
川代:会社でいちばん働いてた人が急にふっとうつになるみたいなこともありますけど、それも感情に気がつきにくいからだったりするんですか?
田中:そうですね。感情の負債がめちゃくちゃたまっているのに、小出しにできなくて、気づいたらとんでもないことになってた、ってことはありうると思います。
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。文学博士(心理学)。京都大学医学部卒業。共働きで4児を育てる父親。信州大学医学部附属病院産婦人科での研修を経て、京都大学大学院文学研究科博士後期課程(心理学専攻)修了。2010年3月まで仁愛大学人間学部心理学科教授、同大学附属心理臨床センター主任。現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事。病院と大学の心理臨床センターで17年間、不登校や引きこもり、摂食障害やリストカットなど子どもの問題について親の相談を受け続けている。これまで5000回以上の面接を通して、子育ての悩みを解決に導いてきた。著書に『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『子どもを信じること』(さいはて社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)などがある。
親は、子どもに去られるためにそこにいる
川代:自分で自分の気持ちに気づくって、大人になると余計に難しいですよね。
田中:そうですね。生きていくためには、切り替えることはときには必要。仕事や日常生活があるから、ずっと傷ついたままというわけにはいかないですよね。
でも、なんでもかんでもすぐに解決しようとせずに、ときには味わうことも、人生には必要。それこそ生きがいというか、それが生きるってことだと思うから。
川代:傷を味わう時間が、癒しになることもありますよね。
田中:子どもがしんどそうな様子を見続けるのを親は耐えられないから、つい、自分の成功体験に当てはめて「解決法」を与えたくなっちゃうんだけど、親が率先してやりすぎると、せっかく育ってきた子どもの自尊心や積極性を折ってしまうこともある。
川代:たしかに。
田中:僕の好きな心理学者のエルナ・フルマンの言葉に、「母親は、子どもに去られるためにそこにいなければならない」というものがあって。これは、子どもの選択を見守り、必要なときにはいつでも安全な場所に戻れる関係性を保証する態度なんですよね。
川代:何かをしてもらわなくても、ただ親が「そこにいてくれる」ことが、いちばんの救いになりますよね。
傷ついても大丈夫、何かあったらいてくれる、っていう事実だけで、その存在だけでがんばれる。
田中:そう。親が子どものためにすべきいちばん大切なことは、「去られるためにそこにいること」。これがフルマンの主張なんですよね。
「そこにいる」ことは「何かをする」ことより、ずっと難しいんだけど。
生きているかぎり、傷つくことは避けられない。でも、それでも生きられるから僕たちは生きてるわけじゃないですか。
だから、傷ついていてもしんどそうでも、「いま、がんばってるんやな」とただただ見守ってあげることも、ときには必要だと思いますね。(連載終わり)
第1回の記事はこちら→【私、反抗期がなかったんですけど大丈夫でしょうか?】誰にも相談できなかった「生きづらさ」の正体について、医師に聞いたら泣くほど納得した。