1976年の初版版発刊以来、日本社会学の教科書として多くの読者に愛されていた小室直樹氏による『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』が2022年に新装版として復刊された。社会学者・宮台真司氏「先進国唯一の経済停滞や、コロナ禍の無策や、統一教会と政治の癒着など、数多の惨状を目撃した我々は、今こそ本書を読むべきだ。半世紀前に「理由」が書かれているからだ。」と絶賛されている。40年以上前に世に送り出された書籍にもかかわらず、今でも色褪せることのない1冊は、現代にも通じる日本社会の問題を指摘しており、まさに予言の書となっている。『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』では、社会学者・橋爪大三郎氏による解説に加え、1982年に発刊された【増補版】に掲載された「私の新戦争論」も収録されている。本記事は『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』より本文の一部を抜粋、再編集をして掲載しています。
天才・小室直樹が語っていた「国防問題」
日本経済の国際的構造からして、石油危機は起こるべくして起こったのである。われわれは、かかる危機が生起したことよりも、いままで一度も生起しなかったという偶然の幸運に驚かなければならないのである。
日本の国防問題も、あらためてこの視座から見直されなければならない。
国防問題というと、だれしも外国が攻めてくることに対処することだ、と思うだろう。が、これは狭義の国防であって、それが国防の中心であったのは、第二次世界大戦以前のことである。現在(1976年当時)では、事情はすっかり変わってしまっている。
一九世紀から二〇世紀の前半にかけて、一回の大会(海)戦によって大帝国の興亡は決せられた。ナポレオン帝国は五つの戦勝(アルコーレ、リヴォリ、アウステルリッツ、イエナ、ワグラム)の柱に支えられているといわれたが、ついに、ウォータールーに滅びた。そのとき、イギリスが生き延びえたのも、ひとえにトラファルガーの一勝による。ビスマルクのドイツ帝国は、ケーニヒツグレーツとセダンの大勝によって成功したが、第一次大戦敗戦の結果、雲散霧消した。このような状態は、第二次大戦まで続く。今日にいたるまで、一九四一年冬の「モスクワ攻防戦」や四二年から四三年にかけての「スターリングラード戦」が多くの人びとの興味をひきつけてはなさないのは、この決戦のどちらかでドイツ軍が勝っていたら、第二次大戦の帰趨は全く異なったものとなり、今日の世界もまた全く異なったものとなっていたからである。これらのいずれの場合においても、ドイツ軍は、勝利の一歩、否半歩手前までいっていた。
が、第二次世界大戦によって、このような戦争万能主義は幕を閉じる。一九五六年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を宣言したとき、軍事的に圧倒的に優勢な英仏もいかんともしがたかった。この際、エジプトの連戦連敗は、少しもナセルの立場を弱めるものではなかった。セダンの敗報がひとたびパリに伝わるや、あっというまに転覆してしまったナポレオン三世王朝と、なんという違いであろう。
その後、一九六七年のイスラエル、エジプトの六日戦争におけるイスラエル軍の電撃戦の圧勝も、問題を何一つ解決しえず、かえってスエズ運河封鎖などの幾つかの後遺症を残したのみであった。朝鮮戦争やベトナム戦争もこのタイプである。前者は引分けであり、後者はアメリカの大敗のうちに終結するのであるが、アメリカが本気になって勝利を求めるならわけはなかった。核兵器を使用しさえすればよい。アメリカが核兵器を使用しなかった理由は、人道的理由や第三次大戦への発展を恐れるというよりも、そんなことをしても問題は少しも解決しないからであったろう。
米ソ関係にしてもそうだ。現在はともかく、十数年前までは軍事的にアメリカはソ連に対して圧倒的に優勢であったのだから、狭義のパワー・ポリティクスの原理からいえば、なんでもできたはずである。しかし、そうとばかりもいえなかったではないか。さらにさかのぼって、朝鮮戦争のころは、アメリカ軍部は、ソ連など本気でたたく気ならば、三か月もあれば十分だ、と豪語していたそうである。核兵器とその運搬手段の当時における状況からみて、おそらくこのとおりであったろう。
が、アメリカはソ連との予防戦争を好まず、満州爆撃を主張したマッカーサーは、トルーマンに罷免されてしまった。要するに、ソ連を核兵器で全滅させることは、問題の根本的解決にならないとアメリカが考えたからであろう。
このようにみてくると、国防問題なども、従来とは違った視点からみられなければならなくなってくる。いままでなら、国防といえば、外国が攻めてきたときどう防ぐか、という問題であった。でも、これからは違う。このような狭義の国防ではなしに、より広義の国防が問題になる。広義の国防とは、日本経済が必要とする資源をいかに確保すべきか、という問題である。これこそ現在のわれわれの死命を制する問題である。
これに比べれば、直接侵略の問題つまり外国の軍隊が直接日本に攻めてきたときにどうするかという問題は、少なくとも現時点においては、あまり恐ろしい問題であるとは思えない。その理由は、国際政治の力学構造が、日本を軍事的に安泰たらしめているからである。