ウクライナ侵攻を続けるロシア。プーチン大統領は、ウクライナ東部・ドンバス地方のロシア語話者の保護を侵攻の口実にしていたが、ウクライナにおける非ウクライナ語規制の背景には、旧ソ連時代のウクライナ語への「言語規制」があったという。(ジャーナリスト 池上 彰、増田ユリヤ 構成/梶原麻衣子)
ウクライナで起きた
言語を巡る軋轢
池上 ロシアがウクライナに侵攻して間もなく1年がたちます。ロシアは攻撃を継続、ウクライナも「2014年にロシアに併合されたクリミア半島を取り返すまでは停戦しない」と主張するなど、事態は長期化の様相を呈しています。
増田 欧州取材に行くと、過去の戦争による国境線の変動の影響を今もひしひしと感じます。元は同じ言語や文化を共有していた人たちが、国境線のこちら側とあちら側に分かれてしまう。ウクライナに侵攻したロシアも、ウクライナ東部・ドンバス地方のロシア語話者の保護を侵攻の口実にしていました。もちろん、攻撃を正当化する理由にはなりませんが、言語を巡るあつれきがあったこと自体は必ずしも否定できないのではないでしょうか。
池上 ウクライナ憲法では公用語はウクライナ語と決まっていますが、かつては「国家言語政策基本法」という、日常的にロシア語を使う住民が多く住む地域では、ロシア語を第2公用語としてよいという法律がありました。ところが、13年に親ロシア派のヤヌコビッチ大統領がロシアからの強い圧力を受けて、EU(欧州連合)との経済協力を強化する協定締結を断念したことを発端に、反政府デモが盛んになり、14年に政権が崩壊(マイダン革命)。反ロ親米政権が発足して、この法律の廃止を決定したのです。
ロシア語しか話せない公務員や国営企業の幹部は職を失ってしまうのではないかとの反発から、市庁舎を占拠するなどの暴動が起きます。ウクライナ政府は一転、法律を廃止しないと弁明しました。