「人に食事をおごってもらったらお礼はどうするべき?」「会食での支払いは?」「人を紹介してくれた相手にどこまで礼を尽くす?」人付き合いには正確な答えのないさまざまな疑問がつきまとい、いつまでも頭を悩ませます。日本大学の学生から、50年の時を経て日本大学の理事長に。数々の文学賞を受賞したベストセラー作家で、2022年に日本大学理事長に就任した林真理子氏の人生論新書『成熟スイッチ』(講談社現代新書)の一部を抜粋・編集して、林真理子流の世渡り作法を紹介します。
感謝の流儀その1
自分も得をするお礼の仕方
親の教えの本当の意味とありがたさは若い時にはわからないものです。たとえば、母から教えられた、
「『~宛』とか『~係』を『~御中』と書き直さない人はみっともない」
ということも、ようやく身についたのは三十代も半ばを過ぎた頃でした。
やってあげたことはいつまでも覚えているけれど、やってもらったことはすぐに忘れてしまう――。これも、母から叩き込まれた教えです。つまりは意識的に感謝の気持ちを心に留めておかないと、自動的に「恩知らず」「礼儀知らず」になってしまう。相手からのお礼が無かったりすると、何かをやってあげた側は軽い失望とともに、ずっとそのことを忘れません。
年をとって若い人にご馳走する機会も増え、お礼を言われる側の正直な気持ちもいっそうわかるようになりました。あんまりうるさいことは言いたくないですが、気になるのは、食事を奢った次の日に会っても「昨日はご馳走さまでした」と言わない人たちです。
当日にお礼を言ったからもう義務は果たしたと思っているのかもしれませんが、私はたとえ3~4カ月たっても「あの時はありがとうございました」と必ず言うようにしています。時間をおいたぶん、「まだあの時のことを覚えてくれているんだ」という義理がたさへのプラス評価も加わりますから、忘れずに伝えた方が自分にとっても得だと思います。
やはり感謝されると嬉しいのが人情ですし、さらには、きちんとしたかたちでお礼を伝えられると、その人への評価も高まるのが世の道理というものです。
私はものをもらったりご馳走されたりしたら、すぐに自筆のお礼状を書きます。もちろん、メールなどでもお礼を伝えないよりはマシですが、自筆で丁寧に書かれた手紙の方がいっそう気持ちを届けられるでしょう。手紙を書く人がほとんどいない世の中ですから、印象にも残ります。
お礼状ではありませんが、先日、会ったこともない編集者から、単行本企画の執筆依頼が届きました。ワープロソフトで数行だけ打ってある企画書を見て、
「なぜ見ず知らずのあなたのために、私がこんなことしなくちゃいけないの……」
と無視しました。たとえ実現は難しい内容でも、真剣さが伝わる自筆で書かれた依頼の手紙が封書で届いたら、断るにしても申し訳ないなと思ってその人のことはすごく心に残ったと思います。
知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります。