キャンセルカルチャーというと、日本ではポリコレのコードに反した(「政治的」に不適切な)言動をした政治家や著名人をSNSなどでバッシングし、社会的地位をキャンセル(抹消)することをいう。もちろんこれは間違いではないものの、近年、アメリカで大きな問題になっているのは、「社会正義」を掲げる左派(レフト)のアクティビスト(SJW:Social Justice Warrior社会正義の戦士)によるリベラルな知識人へのキャンセルだ。そのなかでも「科学」のルールにのっとった主張に対するキャンセルは、「正義」と「真実」は両立するのかという「自由な社会」の根幹にかかわる問題を提起する。
アリス・ドレガーはアメリカの科学史家であると同時に、インターセックス(性分化疾患。身体的に一般的な男性/女性とは一致しない状態で生まれてきたひとたち)への過度な医療的介入に反対する活動家(アクティビスト)でもあるが、トランスジェンダーについての「異端」の説を唱えた学者を擁護したことで、自らがキャンセルの嵐に見舞われる。『ガリレオの中指 科学的研究とポリティクスが衝突するとき』(鈴木光太郎訳、みすず書房)ではそのドレガーが、自らの不条理な体験に基づいて、いまやアメリカ社会では、教会がガリレオを弾圧したときと同じように、偏狭な正義が言論の自由を封殺していると述べている。
原題は“Galileo's Middle Finger: Heretics, Activists, and One Scholar's Search for Justice(ガリレオの中指:異端者、アクティビスト、そして一人の学者の正義のための探求)”。「異端者」はポリコレのコードに反する学説を唱えた研究者、「アクティビスト」はそれをキャンセルしようとするSJW(社会正義の戦士)、「学者」はドレガー自身を指すのだろう。
“正義による真実の否定”
フィレンツェのウフィツィ美術館の科学史コレクションには、アラバスター石の台座の上に載った美しいガラスケースに入ったガリレオの右手の中指が展示されている。ガリレオの死後1世紀、その遺体が「異端者の墓地(庶民の墓地)」から「英雄の墓地(聖堂内の大きな墓)」に移されたとき、ある熱狂的なガリレオ崇拝者が遺体の手の中指を切断し、小さなガラス容器のなかに入れて飾ったのだという。
トランスジェンダーをめぐる騒動に巻き込まれ(正確には、自ら身を投じ)疲労困憊したドレガーは、気分転換に訪れたイタリアでウフィツィ美術館を訪れ、「天空に向けて永遠に中指を立てているガレリオの遺物ほど完璧なものがあるだろうか?」と思う。それは、「真実」を捻じ曲げてでも「正義」を主張する者たちへの永遠の抗議の象徴なのだ。
「異端者」である心理学者のJ・マイケル・ベイリーは、2003年に『クイーンになる男 ジェンダー変更とトランスセクシュアルの科学(The Man Who Would Be Queen: The Science of Gender-Bending and Transsexualism)』を出版し、「男性から女性になるトランスジェンダーにはジェンダー・アイデンティティだけでなく、性的指向(性愛)も関係している」と示唆した。それに対してアクティビスト(活動家)は、「トランスジェンダーのアイデンティティは性的指向とではなく、生まれながらのコアのジェンダーとだけ関係している」と主張している。
これは人種(白人/黒人)問題と並んで現代社会でもっともセンシティブな領域で、トランスジェンダーを性的指向にからめて論じたベイリーは、「ジェンダー・アイデンティティの40年間にわたる社会的・医学的戦いがもたらした地雷原にスキップしながら飛び込んでいくようなものだった」。
ノースウエスタン大学に職を得たことでベイリーの同僚になったドレガーは、科学史家としてこの論争を1年にわたって検証し、その結果を学術誌に掲載した。この論文でドレガーは、「批判者(力をもった3人のトランスジェンダー女性で、そのうちの2人はリベラルな大学人)」が、ベイリーの主張に科学のレベルで反論するのではなく、「研究対象者の人権の侵害、トランスセクシュアルの研究対象者との性的関係、そしてデータの捏造」などでベイリーを告発し、「ポリティカルに問題のある科学理論」を葬り去ろうとしたと論じた。
ドレガーの検証によれば、ベイリーに対する告発はどれも根拠のないもので、それは“正義による真実の否定”だった。この論文をニューヨーク・タイムズが取り上げたことで大きな反響を呼び、ドレガーはトランスジェンダーのアクティビストから次の標的として容赦ない攻撃を受けることになる(ドレガーは何人もの研究者から「〈男から女にジェンダー移行した〉MTFのトランスセクシュアル、触らぬ神に祟りなしさ」といわれた)。
『ガリレオの中指』はこの顛末を中心に、大きく3つのパートに分かれている。残りの2つは、同じように左派のアクティビストからキャンセルされた経験をもつ研究者をドレガーが訪ねた記録と、インターセックスとして生まれる可能性がある胎児への医療介入に反対する「活動」の報告だ。
いずれも興味深いテーマだが、ここではアメリカのアカデミズムで「リベラル」な研究者がどのようにキャンセルされてきたかの歴史を見てみよう。
ラインド論文は、連邦議会の決議によって糾弾された唯一の科学論文になった
トランスジェンダー問題でキャンセルを体験したドレガーは、ミズーリ大学コロンビア校に、キャンセルを経験した2人の研究者を訪ねた。1人は心理学者のケン・シャーで、「性的虐待を受けた子どもたちが必ずしも(一般に信じられているように)精神的に打ちのめされるわけではないという、嵐を呼んだ論文」の掲載を決めた学術誌の編集者、もう1人は人類学者のクレイグ・パーマーで、進化心理学者のランディ・ソーンヒルと共著で2000年に『レイプの自然史 性的強制の生物学的基礎』(邦訳は『人はなぜレイプするのか 進化生物学が解き明かす』望月弘子訳、青灯社)を出版したことで壮絶な批判を浴びた。
1998年、「ラインド論文」として知られるようになる論文が、アメリカ心理学会(APA)が発行する心理学の代表的な学術誌『サイコロジカル・ブレティン』に掲載された。ブルース・ラインド、フォリップ・トロモヴィッチ、ロバート・バウザーマンによるその論文では、性的児童虐待についての多くの研究をメタ分析することで、当時、根拠がはっきりしないまま白熱していた議論に、より科学的にアプローチしようとした。
ラインドらは、「女の子は男の子より性的虐待の心理的被害を受けやすい」「近親相姦を含む家庭内の性的虐待は、それ以外の環境での性的虐待よりも有害である」などの重要な知見を明らかにした。問題になったのは、彼らが「(複数の研究を総合的に判断した結果)性的児童虐待のすべてがどの被害者にも有害なわけでない」と指摘したことだった。「人によっては、子どもの頃に性的被害に遭っても、その後心理的には問題なく成長することがある」というのだ。
これは近年、「レジリエンス(心理的強靭さ/しなやかさ)」として注目されるようになった概念で、同じような心的外傷を体験しても、個人のパーソナリティによってその影響が異なることが明らかになってきた。より直截的にいうならば、「トラウマになりやすいひと」と「なりにくひと」がいるのだ。
ラインドらは過去の研究にもとづいて「レジリエンス」の存在を示唆しただけだが、性的児童虐待を「絶対悪」とする当時の風潮のなかでは、この論文は「科学の名のもとに小児性愛を擁護している」として大炎上した。
こうした批判には根拠がないわけではなく、小児性愛者の権利を主張する「北米少年愛協会(NAMbLA:ナンブラ)は、ラインドらが「小児性愛を擁護するものではない」と書いているにもかかわらず、それを無視して、この論文を小児性愛を正当化する「朗報」と呼んだ。
それに対して小児性愛の撲滅を目指す保守派は、ラインド論文を「クズ科学」「小児性愛を売り歩く連中」と非難した。保守派にとって、これはリベラル寄りのAPAを攻撃できる絶好の機会だった。
連邦議会の保守派議員の働きかけによって、1999年7月、米下院において355対0(「棄権」13人)で「連邦議会は、おとなと「同意した」子どもの間の性的関係が信じられているほど有害ではないことを指摘した論文(略)中のすべての示唆を非難し、糾弾する」との決議を可決し、上院も満場一致であとに続いた。ラインド論文は、連邦議会の決議によって糾弾された唯一の科学論文になった。
この大騒動によって、ラインド論文の掲載を決めたシャーも窮地に陥った。もっとも困惑したのは、当初、編集責任者の解任要求を拒否していたAPAが保守派政治家の圧力に屈し、のちに「降伏文書」と呼ばれるようになる手紙を書いたことだ。
APAはこの降伏文書で「その論文には著者たちの見解が書いてありますが、これは、APAが児童の福祉や保護について堅持してきた立場に反するものです」と述べたばかりか、独立した審査委員会でラインド論文を再審査する用意があると述べた。ドレガーがいうように、これは科学・学術の大前提である査読システムを否定する「前代未聞」の措置で、「科学的審査のプロセスを政治的に覆すことができることを認めることになる」。
APAはこの問題に自分たちで対処できず、論文の再審査をアメリカ科学振興協会(AAAS)に頼み込んだ。この依頼をAAASが一蹴したことで再審査の話はなくなったが、“科学としての心理学”の歴史に大きな汚点を残すことになった。