いつの間にか2022年も終わろうとしており、これが今年最後の記事になるので、話題になった本2冊を簡単に書評してみよう。
最初は経済学者オデッド・ガローの『格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか』(柴田裕之訳、NHK出版)。原題は“The Journey of Humanity; The Origin of Wealth and Inequality”(人類の旅 富と不平等の起源)。ガローは、人類の歴史における経済成長の過程を統一的に説明するグランドセオリー「統一成長理論」で知られている。
人類史におけるもっとも驚くべき変化のひとつは、間違いなく近代以降の経済成長だ。それまでは、16世紀初頭のイングランドの農民の生活水準は、「11世紀の中国の小作人、1500年前のマヤの農民、紀元前4世紀のギリシアの牧人、5000年前のエジプトの農民、あるいは1万1000年前のエリコ(パレスチナの集落)の羊飼い」の生活水準と同じようなものだった。
ところが19世紀以降、わずか200年のあいだに、人類の平均寿命は2倍以上に延び、1人当たりの所得は世界全体で14倍に、もっとも発展を遂げた地域では20倍にもなった。
ここでガローは、2つの大きな問いを提起する。ひとつは、近代になってなぜ爆発的な経済成長が始まったのか。もうひとつは、経済成長率はなぜ「西ヨーロッパとそこから派生した国々(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)」でもっとも高く、東ヨーロッパ、西アジア、東アジア、ラテンアメリカ、アフリカなど地域によって異なるのかだ。
本書では、最初の問いは第一部『何が「成長」をもたらしたのか』、2つ目の問いは第二部『なぜ「格差」が生じたのか』で扱われる。
ガローは、人口の増加と産業革命は異なる局面ではなく、同じ要素が「相転移」したものだと論じる
イギリスの経済学者トマス・ロバート・マルサスは1798年に『人口論』を著し、人口は幾何級数的(ネズミ算式)に増えるのに対し、食糧は算術級数的にしか増えないため、やがて食糧が人口を支えられなくなり、貧困や飢餓、内乱、戦争などが起きて余剰人口が調整されると論じた。この暗鬱な仮説では、人類はどれほど努力しても、不幸な運命から逃れることはできない。
農耕の開始とともに、人口は大きく増えはじめた。農業革命直前の紀元前1万年に地球上に住んでいた人間の数は推定240万だが、ローマ帝国とマヤ文明が最盛期に近づいた西暦元年までには世界人口は78倍の1億8800万に急増した。その1000年後、ヴァイキングがイングランドを征服し、王安石が北宋で大胆な政治改革を行なっていた頃、人類の数は2億9500万に達した。西暦1500年頃には世界人口は5億に迫り、工業化初期の19世紀初頭には10億を突破する寸前だった。
マルサスが指摘したように、農業テクノロジーが進歩してより多くの食糧を生産できるようになると、ひとびとはより多くの子どもを産むようになった。その結果、一人あたりの食糧=ゆたかさは変わらない。人類は1万2000年にわたって、この「罠」にとらわれてきたのだ。
ところが、マルサスが『人口論』を発表したのとほぼ同時期に、まったく新しい現象が始まった。産業革命を達成した西ヨーロッパで人口増加が抑制され、同時に経済成長率が大幅に伸びた。これによってわたしたちは、人類史上はじめて「とてつもないゆたかさ」を手に入れたのだ。
従来の経済史では、これは「近代以前」と「近代以降」に分けて説明されてきた。近代はイギリス、フランス、ドイツなど西ヨーロッパで興ったから、こうした議論は「ヨーロッパ中心主義」を含意していた。
これに対してガローは、水が熱を加えると水蒸気になるように、人口の増加と産業革命は異なる局面ではなく、同じ要素が「相転移」したものだと統一的に論じる。
人口が増えるとひとびとのあいだの競争が激しくなり、同時にアイデアの交換が容易になる。そのような環境では、親は子どもに農作業を手伝わせるよりも、教育のような人的資本に投資したほうが有利だと考えるようになるだろう。
地理的・文化的な理由から、人的資本投資の傾向は西ヨーロッパでもっとも顕著だった。これが、イギリスで最初に産業革命という「相転移」が起きた理由だ――ということになる。
「地理的に孤立した集団が異なる進化を遂げた」理由とは?
『格差の起源』第2部では、ガローは現代から過去へと時間を遡って、なぜ地域によって経済発展にちがいがあるのかという謎に迫る。
とはいえこの問いには、(ガローも述べるように)すでにジャレド・ダイアモンドによるエレガントな説明がある。
ダイアモンドは世界的なベストセラーになった『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』(倉骨彰訳、草思社文庫)で、「横に長いユーラシア大陸と、縦に長いアフリカ大陸、南北アメリカ大陸の地理的なちがい」を指摘した。農業は人類史を画する革命だが、このイノベーションは同程度の緯度の地域にしか広まらない。アフリカ南部でもヨーロッパと同じ農業を営む条件は揃っているが、知識や技術はサハラ砂漠や熱帯のジャングルを越えることができなかったのだ。
だがイギリスの科学ジャーナリスト、ニコラス・ウェイドは、『人類のやっかいな遺産 遺伝子、人種、進化の歴史』(山形浩生、 守岡桜訳、晶文社)で、この説はものごとの半分しか説明していないと批判した。
大陸ごとに知識・技術の伝播のちがいが生じるのはそのとおりだが、これは地形が人間の移動を制限するからだ。近年、急速な進歩を遂げた遺伝人類学は、約6万年前に出アフリカを遂げたあと、ヒト(ホモ・サピエンス)の集団が、それぞれの地域・環境に適応するために遺伝的に(微妙に)異なるようになったことを明らかにしつつある。ダイアモンドは「人種などというものは存在しない」と断言するが、皮肉なことに、彼の理論は「地理的に孤立した集団が異なる進化を遂げた」という理論を補強しているのだ。
ガローは、地域間の格差という「光と影」の背後には、制度的要因、文化的要因、地理的要因のほかに、遺伝的要因があることを認める。ダイアモンドの説をさらに一歩進めるには、ヒト集団によって(わずかな)生得的ちがいがあり、それがその後の経済発展に影響したと論ずる以外にないのだ。
しかし、誰もが気づくように、ここは容易に立ち入ることのできない「地雷原」だ。植民地主義・帝国主義では、白人はもっとも進化した人種であり、進化の遅れた有色人種を支配・啓蒙することが「神から与えられた責務(The White Man's Burden)」とされた。「ヨーロッパ系は認知的に優れているから経済成長できた」との主張は「白人至上主義」と同じになってしまうのだ。――実際には、世界各国のIQ(知能指数)を比較すると、ヨーロッパ系と東アジア系はほぼ同じだ。
では、ガローはこの隘路をどのように切り抜けるのか。それが「遺伝的な多様性」だ。
遺伝的にみれば、ホモ・サピエンス誕生の地であるアフリカがもっとも多様性が大きく、(南アメリカやオセアニアなど)アフリカから距離が遠くなるにつれて多様性は減っていく。
経済発展に必要なイノベーションを生み出すには、適度な多様性が必要だとガローはいう。アフリカは遺伝的多様性が大きすぎ、南アメリカは逆に遺伝的多様性が小さすぎる。アフリカからほどよい距離にあるヨーロッパは、遺伝的な多様性が大きすぎも小さすぎもせず、それが「究極要因」として産業革命というイノベーションに影響したのだ、というのがガローの「謎解き」になる。
この仮説はいずれ、遺伝人類学者らによって検証されるだろうが、遺伝的多様性が経済発展の程度と相関関係にあるとしても、それですべてを説明するのは難しいのではないか。私の感想をあえていうならば、これは理論的に導き出されたというよりも、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の基準に合致するものが選択されたように思われる。