ChatGPTが間違った答えを出す例は、プログラミング以外の質問をしたときにも見られます。私が「ブルース・リーの『燃えよドラゴン』はどんなストーリーか」と聞いたときには、もっともらしいけれども全くのデタラメを返答してきて、「私の知らないもう1つの世界線では、こういうブルース・リーの『燃えよドラゴン』があったのか」と思わせるほどでした。
【ChatGPTに『燃えよドラゴン』のストーリーを尋ねた結果の一例】
映画のストーリーであれば、多くの人が「おかしい」と気づくのでまだよいですが、プログラミングコードが出力されたときに知らない人が見たら、そのまま鵜呑みにしてしまう危険性もあります。
「プログラマー不要論」は
取り越し苦労
もう1つ、プログラミングが不要にならない重要な理由があります。「プログラミングをしてくれるAI」や「ノーコード/ローコードツール」をプログラミングするAIは、まだないのです。
「プログラムは不要になる」という説は、実は私が社会人になったばかりの1990年代初頭からずっと言われてきたことです。しかしそんな時代は来ていません。
前回記事でも触れましたが、昔のコンピューターは専門家でなければ扱えず、アプリケーションもそう多くありませんでした。エクセルのようなアプリケーションがなかった時代には、「表をグラフにする」ことでさえ、2次元の画面や紙の上に点を描画するプロッターといわれる装置にプログラムコードで指示をして初めて、出力できたのです。
今ではエクセルやスプレッドシートのようなアプリケーションがあって、いちいちコードを書かなくてもグラフは出力できます。ですが、そういうアプリケーションは、いまだに誰かが作らなければいけないわけです。ノーコード/ローコードについても同様で、人がプログラミングしなくてもよい部分はどんどん増えていきますが、そのプログラム自身は誰かがプログラミングしているのです。
最近のAIの進化には目覚ましいものがあり、やがてはAIがシンギュラリティ(技術的特異点)を超えるときが来るかもしれません。しかしそれもまだ、しばらく先のことでしょう。
マイクロソフトやグーグルは、AIでのプログラミング研究を進め、社内でも活用していますし、製品にも応用しています。しかし、彼らでもまだAIで完全なプログラムはできていません。ですから一般企業で「プログラマーが要らなくなる」「プログラマーを採用しても、プログラミングを勉強しても、意味がなくなるのではないか」などと考える必要は、今は全くありません。マイクロソフトやグーグルが大量にプログラマーを解雇しはじめたときに初めて「本当にプログラマーが要らなくなった」と考えればよいことで、それまでは、そんな心配は取り越し苦労です。