儲けたい潜在読者を刺激する
「安倍バブル」という言葉
最近、メディアで「安倍バブル」という言葉を見かける。対象としては、昨年暮れから(正確には、野田佳彦前首相が「やりましょう」と解散に言及した11月14日の翌日から)最近までの株価上昇と円安を指しているわけだが、使われ方のニュアンスが2通りあるようだ。
1つは、「バブル」という言葉を使って、上げ相場で一儲けしたいと考える潜在読者を刺激したいという目的に基づく「煽り」だ。背後には、ある週刊誌が約1ヵ月前の特集に「安倍バブル」と謳った号で大いに売り上げを伸ばしたので、その週刊誌ばかりでなく、他誌もこれに追随した特集を組むようになった、という事情がある。
「うちも、今は、これで行かざるを得ないのですよ」と、ライバル誌の取材記者が言っていた。
もう1つのニュアンスは、現在までの株価の上昇に対する批判を含んでいる。安倍政権になって、まだほとんど何もしていないのに、株価が上昇するのはおかしいではないか、「これは、中身のない株価上昇だ」と言っている。
今の株価を後から「中身がない株価上昇だった」と振り返ることが絶対にないとは言わないが、経済の実態が大きく変わったわけでないのに「期待」を反映して株価が上がることはよくある現象だ。
たとえば、1980年代の後半に起こった日本のバブルの始点は1986年だった。この年、株価は日経平均で42.6%も上昇して、年末には1万8701円だった。このとき、前年のプラザ合意から大きく進んだ円高の影響もあり、企業業績はパッとしなかったが、金融緩和の進行と一段の緩和への期待を背景に、株価は大いに上昇した。
当時、筆者は、投資信託のファンドマネージャーとなって最初の担当ファンドを運用し始めた頃だったが、「カネ余り」という言葉が、ちらほらと聞こえ始めたように記憶する。