「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と断言し、その悩みに明確な答えを与えてくれる「アドラー心理学」。日本では無名に近かったこの心理学を分かりやすく解説し、世界累計1000万部超のベストセラーとなっているのが『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の“勇気シリーズ”です。
この連載では、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が、アドラー心理学の教えに基づいて、皆さんから寄せられたさまざまな悩みにお答えします。
今回は、アドラー心理学における「共同体感覚」と芸術を結びつけたいという高校生からのご相談。岸見氏と古賀氏がアドラー心理学流にどのような回答をされるか、お楽しみください。(構成/水沢環)

『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者があなたの悩みに答えますイラスト:羽賀翔一

今回のご相談

『嫌われる勇気』からアドラー心理学を知った高校1年生です。芸術に興味があり、共同体感覚という概念にも引かれたため、芸術を通して共同体感覚を理解するプロジェクトを友だちと一緒に立ち上げようとしています。お二人になにかヒントをいただければうれしいです。(高校生)

「アドラー心理学流」回答

岸見一郎 「人びとは敵対しているのではない。むしろ、結びついて繋がっているのが本来のあり方なのだ」とアドラーは考えました。これが共同体感覚の根幹です。

 この考えはアドラーが第一世界大戦中に発想したものです。彼は軍医として従軍し、兵士たちが殺し合う戦場で心を病んだ兵士の治療に当たりました。それにもかかわらず、アドラーは、人と人は敵対するのではなく結びついていると考えたのです。そこに彼の天才たる所以があると私は考えています。

 実際には、アドラーがこのことを話すと仲間たちは離れていきました。人びとは繋がっているという考え方は、キリスト教で言うところの「隣人愛」に似ています。そこで仲間たちからは「我々が求めているのは科学であり、そんな宗教的な考えを受け入れるわけにはいかない」と批判されました。

 私は具体的なイメージは湧かないのですが、人の本来の姿は繋がり愛し合うものであることを、ぜひなんらかの芸術として表していただければうれしいです。

古賀史健 世の中にある作品で共同体感覚を感じられるものというと、映画のエンドロールを思い浮かべます。僕はエンドロールを見るたびに、いつも頭がくらくらするような感覚を覚えるんです。

 映画のポスターには監督や主演俳優の名前くらいしか書かれていませんよね。でもエンドロールってものすごくたくさんの人の名前が出てくるじゃないですか。一つの映画作品をつくるのには、何百人もの人が関わっているからです。大げさに聞こえるかもしれませんが、そのうちの一人でも欠けていたら、その映画は違う姿になったはずなんですよね。

 だから僕は、たとえどんなにつまらない映画でも、エンドロールは面白いなと思うんです。これだけたくさんの人が、一生懸命この作品を成立させようと頑張ったんだなっていうのが伝わってくるから。僕のなかでは、あれはとても共同体感覚的だなという気がします。

 芸術作品というのは、基本的には一人の作家のエゴが表出するものですよね。だから一見、共同体感覚とは対極にあるもののように思えます。でも、質問者さんは「友だちと協力してプロジェクトを立ち上げたい」とおっしゃっています。僕はそれがすごく良いなと思いました。

 つくる作品は絵でも彫刻でも、どんなものでもいいと思うんです。ただ、なにかを真剣につくろうとすると必ず意見が対立するし、ときにはケンカするくらいの議論になることもある。そういう本気のぶつかり合いを経験した上で、きっと一致点を見出すでしょう。作品そのものよりも、そういうプロセスのなかで、共同体感覚が自分の体で理解できるんじゃないかなという気がします。どんなプロジェクトになるのか、とても楽しみです。

(次回もお楽しみに)