「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。
ロシア正教の特徴
ウクライナ戦争は、その背景にある、ロシアとウクライナの歴史や宗教を踏まえないと理解できません。
ロシアは、ロシア正教の国。東方教会(ギリシャ正教)の一角を占めます。東方教会が、西側の教会(カトリックやプロテスタント)と違うのは、政治権力と教会とが二人三脚で、一体になっている点です。
そのため東方教会では、宗教改革の起こりようがありません。誰かが教会に反対しようものなら、ただちに政治犯になってしまう。逮捕・処刑されます。良心や信仰の自由がない。人びとの内面を教会と政治権力が監視している、権威主義的な社会になります。
ビザンチン帝国も、その後釜とも言えるロシアも、そうした背景の国なんです。
ロシアとウクライナの認識のズレ
ウクライナはどうか。ウクライナも正教なのですが、14世紀ごろから数百年間、ポーランドに支配されていました。ポーランドはカトリックで、政教分離の原則に従うので、議会政治や良心の自由があります。ウクライナはそうしたポーランドの影響を受け、ロシアと違った歴史的経験をしているのです。
そのあと、ウクライナは、ロシアに組み込まれました。でもウクライナ人は、自分たちはロシアと違う、という意識があります。いっぽうロシアに言わせると、ウクライナはロシアの一部、キエフはロシアのふるさと、ということになります。この食い違いが、ウクライナ戦争のおおもとにあると言えます。
ソ連の崩壊とウクライナの独立
この食い違いは、ソ連時代には伏流していました。
ソ連が崩壊すると、ウクライナが独立することになった。ウクライナは軍需産業の中心地で、核兵器もあった。それが独立したら深刻な脅威になると、ロシアが心配した。
でも西側の国々は、ウクライナの独立を支持したい。そこで関係国で話し合いの結果、核兵器はすべてロシアに移管する、代わりに、ウクライナの安全をイギリスとアメリカが保障する、と約束して話がまとまりました。ロシアはウクライナに手を出すな、です。
ロシアの不満
こうしてウクライナは独立しましたが、ロシアはこれが不満です。ウクライナはロシアの縄張りだ。西側諸国はのさばるな。いっぽうEUやアメリカは、ウクライナをNATOに含めることには、及び腰でした。ウクライナを本気で防衛するまでのつもりがなかった。
このためウクライナの政情は混乱しました。プーチンは手始めに、クリミア半島を占領した。2014年3月のことです。ウクライナ東部にも工作を仕掛け、親ロシアの地方政権を打ち立てた。かつてのヒトラーのようなやり方です。これはまずい。ウクライナ国民の危機感を背景に、はっきり西側を向いたゼレンスキーが大統領として登場してきました。
この間、アメリカは、ウクライナに対する責任感が乏しかった。ロシアに間違ったサインを出してしまった。今回の戦争に関して、アメリカの責任が特に大きいと思います。
アメリカの国際情勢の分析は、しばしばお粗末です。出先の情報機関はそれなりに頑張っている。でも、トップリーダーが状況を把握して、将来を見通す力が弱いのではないかと思う。
これからのリーダーを育てるには
日本も他人事ではありません。ウクライナ戦争の一連の動きを見ている中国は、台湾にあてはめていろいろ考えているでしょう。中国の見解では、台湾は独立の国家ではなく中国の一部ですから、はるかに正統な理由づけで、通常戦力による戦争を起こすことができます。
中国が台湾に進攻すると、アメリカとの戦争になります。中国とアメリカが戦争すると、勝敗の予測がつきません。アメリカが圧倒される可能性もあります。加えて、沖縄の嘉手納基地やグアム島なども戦域になります。周辺事態法や日米安保条約によって、日本も戦争の当事者になります。
以上は火を見るより明らか。日本もこれを想定して準備をしなければなりません。でも日本には戦争や核に対するアレルギーがあって、そちらに頭が回らない。
みんなの関心と言えば、戦争になったら、経済にどういう影響があるのか、わが社はだいじょうぶか、というレヴェルです。まったく情けないことです。
日本は、将来を担うリーダーをちゃんと育成しなければなりません。その基礎のひとつが宗教。そして、哲学や社会システム論も踏まえて、世界の骨格を理解することです。そういう教育こそが、これからの重要課題なのです。
※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。
橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)
1948年生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。大学院大学至善館教授、東京工業大学名誉教授。著書に『はじめての構造主義』『はじめての言語ゲーム』(ともに講談社現代新書)、社会学者・大澤真幸氏との共著に『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、新書大賞2012を受賞)、『死の講義』(ダイヤモンド社)などがある。
「人は死んだらどうなるのか」を宗教に学ぶ――著者より
突然ですが、この本は、死んだらどうなるかの話です。
だいたい死は、突然やってくるものなので、お許しください。
ただしご安心ください。「死んだらどうなるかの話」は、死ぬことそのものではありません。むしろそんなことを考えるのは、生きているひとです。かく言う著者の私もまだ生きているし、この本を手にとったあなたも生きている。悠長なことです。いまにも死にそうで、それどころではないひとだってけっこういるのに。
じゃあなぜ、そんな悠長なことを考えるのか。
いよいよ死にそうになったときには、じっくり考える時間がありません。気力も体力もないかもしれない。そうするうち、死んだらどうなるかもはっきりしないまま、死んでしまう。もったいないことです。せっかく死ぬのに。
人間は、自分が死ぬとわかっている。よろしい。では、死んだらどうなるとわかっているのでしょうか。
むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。
そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです。
広い場所には、さまざまな文化をもった人びとが集まります。さまざまな人種、さまざまな民族の人びとが集まります。死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。
いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。
いま、世界には、四つの大きな文明があります。どれも、宗教を土台にしています。
・ ヨーロッパ・キリスト教文明 ……キリスト教を土台にしている
・ イスラム文明 ……イスラム教を土台にしている
・ ヒンドゥー文明 ……ヒンドゥー教を土台にしている
・ 中国・儒教文明 ……儒教を土台にしている
この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします。
この本のタイトルは、『死の講義──死んだらどうなるか、自分で決めなさい』です。こんな本を読んでいると、変な目で見られるかもしれません。縁起でもない、と。いやいや、決して怪しい本ではないですよ、と説明してあげましょう。
この本を読む理由。
死んだらどうなるかわからないので、怖くて、心配で、読むのではありません。もちろん、怖くて、心配で、困って読むのでもかまいません。でもほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。
死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです。
これより大きなプレゼントがあるでしょうか。私の役目は、そのプレゼントを、読者の皆さんに届けることです。
そこで、読者のみなさんに、約束します。
中学生でも読めるように、わかりやすく書きます。
少しむずかしい言葉を使うときは、説明や注をつけます。
頭に入りやすいように、かみ砕いて話を進めます。
人間が死んだらどうなるのか。この本にあるように、ほんとうにいろいろな考え方があります。そしてどれも、よく考えられています。選りどり見どりです。
人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます。
■新刊書籍のご案内
☆☆読売新聞書評面(2023/2/5)掲載で大きな話題!「人生を変える一冊」として読まれています!!☆☆
☆ロングセラー、重版続々!☆
西成活裕氏(東京大学教授)推薦
「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう。」
佐藤優氏推薦
「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」
山口周氏推薦
「宗教の本質は死生観に出る。死を考えることで生を考えることができる。」
病理医ヤンデル氏絶賛
「とんでもない本だった。語彙が消失するほどよかった。」
「死」とは何か。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、ヒンドゥー教、仏教、儒教、神道など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。本書は、現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明するコロナの時代の必読書。
宗教の、どれかひとつを選んで、死んだらどうなるか、考えてみる。ちょっとやってみる、をお勧めする。それは、運命の出会いかもしれない。とのべておきながら、反対のことを言おう。どの宗教を選んでも、結局は同じことですよ、と。
なぜか。それはどの宗教も、いまの時代を真面目に生き、でも相対主義に苦しむふつうの人びとの、プラスになるに決まっているから。科学と常識だけでは満足できなかった、ぽっかり空いたあの偶然の空白を埋めて、自分なりの確信をもって他者と共に歩むことができるから。
宗教をひとつ、選んでみなければ、宗教のことはわからない。その宗教だけでなく、どの宗教のこともわからない。その意味で、どの宗教を選んだとしても、結局は同じことなのである。
人類の最大の知的財産である宗教をわからないままで、生きていると言えるだろうか。ささやかな本書を手がかりに、宗教の豊かさを味わってくれる人びとがひとりでも多いことを願っている。(本書より)