「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。

 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】世界の4つの文明を作っている“大事な本”とは?Photo: Adobe Stock

世界の四大文明と宗教

 グローバル世界は、多様性の世界です。世界の人口80億人のうち85%ほどの人びとは、次の4つの文明のどれかに属しています。

[文明:宗教人口]
 キリスト教文明:25億人
 イスラム文明:15億人
 ヒンドゥー文明:10億人
 中国儒教文明:14億人

 文明(Civilization)は、文化を束ねたもの。その接着剤が宗教です。

 宗教とは、「人びとが、同じように考え、同じように行動するための装置」。それが、何億という人びとをまとめて、文明という大きな集団にします。文明の根底にあるのは、宗教なのです。

 宗教(つまり、文明)は、言語や民族や文化や歴史や…を超え、さまざまな人びとを普遍的な価値によって統合します。

 キリスト教文明の人びとは、キリスト教という共通項がある。それが共通項となって、互いを理解することができる。

 イスラム文明の人びとは、アラビア人、トルコ人、ペルシャ人、…と多民族多言語ですが、イスラム教(イスラム法)を共通項にして、平和を追求します。

 インドの人びともやはり多言語・多民族ですが、ヒンドゥー教を共通項に、カースト制を営んで暮らします。

 中国も各地の方言が互いに通じないので、多言語状態と言ってよいのですが、漢字や儒学が共通項になって、中国らしく暮らしています。

「文明の衝突」が現実に

 それぞれの文明は、このように高度に統合されていますが、互いに相いれない。たとえばキリスト教とイスラム教、イスラム教とヒンドゥー教、ヒンドゥー教と儒教は、仲が悪い。

 なぜお前はそんなふうに考えるのか、と相手とトラブルを起こすことになります。

 これは頭の痛い問題です。

 国際社会での摩擦やトラブルの根本を探ると、利害の対立と言うよりも、考え方や行動様式の違い、文明の違いに行きつくことが多いのです。

 冷戦が終わったころ、サミュエル・P・ハンティントンというアメリカの政治学者が、これからは「文明の衝突」の時代だ、と言い始めました。いや、「歴史の終わり」だ、などといろいろほかにも議論があったのですが、「文明の衝突」という彼の直観はとても正しかった。文明の衝突がいよいよ現実味を帯びて来ています。

文明をつくる“大事な本”

 日本人は、文明という言葉を知っているだけで、肝腎の、文明をつくる原理がよくわかっていない。

 文明をつくる原理。それは、文明にはそれぞれ、“大事な本”があることです。

[文明:“大事な本”]
 キリスト教文明:聖書
 イスラム文明:クルアーン(コーラン)
 ヒンドゥー文明:ヴェーダ聖典
 中国儒教文明:五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)

 それぞれの“大事な本”は互いに違っている。書かれた言語も時期も内容もばらばら。でも、それをみなで読む。そしてそこに、正しいことが書いてある、と考えます。

 本の中身を思い切って要約してみると、こうです。

「およそ人間は、こう考えるのが正しい、こう行動するのが正しい。」“大事な本”は、正しさの規準なのです。

 “大事な本”は特定の人間が書いたものではありません。聖書やクルアーンは、神さまが書いた。

 ヴェーダ聖典も神さまの時代から伝わっている正しいテキストとされている。儒教の場合は、神さまではないが、大昔の王さま(聖人)がりっぱな政治をした記録が書いてある。

 本は無条件に正しい。人間は無条件にではなく、条件付きで正しい。本を読んで、自分の考え方や行動が本と一致しなければ、自分が間違っている。だから、自分の考えや行動を本に合わせる。本の通りに考え、行動する。そういう人びとが、大量に生産されます。

 本は文字で書いてある。だから、写本がつくれる。それをあちこちに配る。時間が経っても同じ本が読める。その結果、地域が拡がり時間をまたいで、おおぜいの人びとが同じ本を読めるのです。こうして、同じように考え同じように行動する、大勢の人びとが再生産される。これが文明なのですね。

 このメカニズムに気がつかなければ、文明を理解したことになりません。

カノン(正典)はどのように読み継がれるか

 さてこの“大事な本”のことを、カノン(正典)といいます。元はギリシャ語で、ラテン語になっていて、「ものさし」のこと。「正しさの規準」です。

 文明は、カノン(正典)を読んで、考え方や行動を正すことですから、どんな文化や言語の、どんな人種や民族の人びとでも、文明に加われます。書物を通して文明の一員になれるのが、文明の力の根源です。

 文明では、カノン(正典)にアクセスできる人びとの地位が高くなります。

 ヨーロッパでは、聖職者。
 イスラム圏では、クルアーンや関連文献を読みこなすイスラム法学者。
 ヒンドゥー文明ではサンスクリット語の原典を読めるバラモンの人びと。
 中国では四書五経を読みこなし、行政文書が書ける読書人階級の官僚。

 カノン(正典)を読み継いできた伝統が、現代社会でも大きな意味を持っています。これを押さえないと、世界のことはわかりません。文明の根底にカノンという“大事な本”があることを忘れないように。

※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。