失恋を例に考えてみましょう。

 恋人があなたのもとを去ると、あなたは恋人のいない人生を歩むことを寂しく思います。それは、あなたが恋人のことを繰り返し想い、執着していたからです。そして、失恋したことを何度も思いだすことで、今度は悲しみに執着することになります。簡単に言うと、悲しみにどっぷりとひたってしまうのです。

 実際には、2人の関係が一般的に恋人と呼ばれる関係からそうでない関係へと変化しただけで、あなたも恋人だった相手ももとの2人のままです。それなのに、心が誤作動して、それ以上の意味づけをしてしまうのです。その証拠に、恋人と別れたのがあなたではなく、あなたの友達だったら、あなたが悲しむことはありませんね。それは、あなたは友達の恋人に執着していないからです。

 悲しみを手放すには、心をよく観察して、いったい自分が何に執着していたのか、何を欲していたのかをくっきりと浮かびあがらせる必要があります。そして、起きたできごとをありのままに見て、実は失ったものなど何もないのだ、と心に刻むことです。

 サンスクリット語では、悲しみと苦痛は「ドゥッカ」というひとつの単語で表現されます。悲しみとは、痛みであり、苦しみなのです。憂い、恨み、憎しみ、罪悪感なども、苦痛の一種ですから、悲しみと同じように対処することができます。