JR東「武蔵野線」はなぜ生まれた?首都圏の“人と貨物”輸送を支えた50年史Photo:PIXTA

府中本町から西船橋まで都心から約20~25キロ圏をぐるりと描く環状線、武蔵野線が1973年4月1日の府中本町~新松戸間開業から50周年を迎えた。山手線の外側で人と貨物の輸送を支える縁の下の力持ち、武蔵野線の歴史を振り返りたい。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

貨物列車のために
作られた武蔵野線

 武蔵野線は南武線、中央線、埼京線、京浜東北線、常磐線、総武線のJR6路線に加え、西武池袋線、東武東上線、埼玉高速鉄道、東武伊勢崎線、つくばエクスプレス、新京成電鉄、北総鉄道、地下鉄東西線、東葉高速鉄道、の私鉄9路線、合計15路線と連絡する。

 都心から郊外に向かう放射路線と異なり、都心周辺部を横に結ぶ環状路線は1本では都心に出ることはできないものの、各路線間の乗り換えを容易にするネットワーク上の効果が大きい。そのためJR東日本は2008年以降、武蔵野線や南武線を「東京メガループ」と名付け、機能強化を図っている。

 これは人だけでなく貨物も同様だ。武蔵野線は京葉線、常磐線、東北貨物線、中央線、さらに西武池袋線(現在は車両搬入でのみ使用)と線路がつながっており、貨物専用線である府中本町~鶴見駅間を含めて首都圏の貨物列車のバイパス路線としての役割も担っている。というよりも武蔵野線は元々、貨物列車のために作られた路線であった。首都圏の縁の下の力持ち、武蔵野線の歴史を振り返りたい。