泉 房穂 明石市長Photo by Kazutoshi Sumitomo

他の地方自治体に先駆けて子育て支援策など福祉政策の拡充を図ってきた明石市。泉房穂市長は「優しい社会を明石から」の信念をもって市政にあたってきた。泉市長のインタビューの後編では、信念を持つに至った背景、政治スタンス、4年前の辞職、そして今回の退任のきっかけとなった発言について語ってもらった。(構成/ダイヤモンド編集部編集委員 竹田孝洋)

貧乏だった子ども時代
障害者の弟への差別

――優しい社会を明石からという思いを持ったのはどうしてなのでしょうか。

 要は貧乏と差別です。私の子ども時代、父親は一生懸命働いているのに食卓にはおかずが少ない。弟はいいやつなのに、障害があるだけでのけ者にされてしまう。この二つの理不尽が私の原点です。

 大学を卒業してNHKに入社した時にも、「日本から貧困と差別なくすためにNHKに入りました」と書いた紙を食堂に貼りました。すぐにはがされましたが。明石市の施策が子どもに寄り添い、少数派の人々にも光を当てる施策になっているのは、私自身の幼いころからの強い思いが大きく影響しています。

 99%が幸せだからいいのだと言うなら、わが家族は残り1%でした。弟は足が悪いために、地元の学校ではなく、自宅から遠い別の学校に行くように言われました。子ども心に、なんとひどいことを言うのかと思いました。

 だからといって、学校の先生が悪いと思わなかったし、友達や近所のおっちゃんが悪いとは思わなかった。しかし、何かが間違っていると思えてなりませんでした。当時はそれが何かがわからなかった。それでも小学校高学年の時には、自分が賢くなってこんな仕打ちや理不尽な思いをする人をなくしたいと考えていました。

――何が間違っていたのでしょうか。

 困ったときはお互いさまのほうがみんなにとってハッピーなのに、多くの人がそう思っていない社会の在り方です。

 9割が幸せというと多くの人は自分がその9割の多数派に入っており、そこに居続けられると考えがちです。でも、そのこと自体が単なる思い込み、勘違いです。誰だって突然、交通事故に遭うかもしれないし、家族を失うかもしれない。

 だからこそ、何があっても大丈夫、困ったときはお互いさまの社会の方がいいとずっと思っています。明石のまちづくりはそこが根幹です。今では障害のある方も、「明石は優しくなった」と言ってくれます。

 優しい社会を作ることを目指した結果、人口も税収も増えた明石市。次ページ以降、施策の仕分け方、そし4年前の辞任、今回の退任のきっかけとなった自らの発言、市長としてのスタンスについて語ってもらった。