香港の九龍半島の繁華街・尖沙咀(チムサーチョイ)から九広鉄道の紅磡(ホンハム)駅に向かって歩くと、赤レンガの壁に囲まれた特徴のある円筒型の建物が見えてくる。アジア屈指の名門大学・香港理工大学で、以前は自由に出入りができたというが、4月末に訪れたときは正門の奥にゲートが設置され、学生や関係者以外は入れないようになっていた。

 このような警備が必要になったのは、「逃亡犯条例」に反対して2019年に始まった大規模な民主化運動(時代革命)でここが最大の「戦場」になったからだ。11月に学生とデモ参加者ら数千人が大学構内を占拠して治安警察との籠城戦に突入し、結果として1400人ちかい逮捕者を出した。

 その後、新型コロナの感染防止のため公共の場に5人以上で集まることが禁止されるなど、抗議行動が不可能になった。20年5月に中国全人代で「国家安全維持法(国安法)」の香港への適用が採択、6月に施行されたことで、「一国二制度」は事実上崩壊した。

 現在の香港理工大学にはガス弾と火炎瓶が飛び交った激しい戦いを思わせるものはまったくなく、授業に向かう学生以外は、正門前で記念写真を撮る2人組の若い女性がいるだけだった。

 それ以前に香港の街自体が、かつての混乱の痕跡を消し去っていた。デモ参加者は200万人で香港の人口の4分の1を超えるとされたが、民主派を象徴する黒シャツのグループを見ることはなく、あちこちの壁を埋め尽くしていた「光復香港、時代革命」のステッカーもきれいになくなっていた。まるですべてが幻であったかのように。

「香港の民主化運動はどう?」と何人かの香港人の知り合いに訊ねたが、「あれはもう終わったことだよ」と言葉少なく答えるだけだった。「ほんとうに迷惑だった。おかげでこっちは大損害だよ。中国共産党が強権であいつらを排除してくれてよかった」と語る者もいた。

ゲートが設置された2023年の香港理工大学に「時代革命」の面影を見る香港理工大学   Photo:Alt Invest Com  
ゲートが設置された2023年の香港理工大学に「時代革命」の面影を見る香港理工大学の正面入り口。奥にゲートが設置されている Photo:Alt Invest Com  

香港理工大学の攻防戦を記録した2つの映画が示したこととは?

 香港理工大学の攻防戦は、ドキュメンタリー映画『理大囲城』に記録され、日本でも公開された。監督や製作スタッフは全員が匿名で、出演者も逮捕の危険性から、防護マスクやモザイク処理で表情はいっさいわからないが、それでも生々しい緊迫感が伝わってきた。英題“Inside the Red Brick Wall(赤レンガの壁のなか)”が示すように、キャンパスは高い壁に囲まれていて、「籠城」「攻防戦」というよりも、学生や参加者は治安警察によって構内に閉じ込められ、抵抗すらできなかった。

 映画のなかで、籠城にこだわる強硬派は、市民の大規模な抗議デモが起きるとか、海外(アメリカ)からの圧力で包囲を解かざるを得なくなるなどの楽観論を繰り返していたが、現実には徹底した封鎖でデモ隊は大学に近づくことができず、中国政府がアメリカの抗議に屈するはずもなく、どこにも希望はなかった。誰もが「外に出たい」「家に帰りたい」という気持ちと、「落伍したくない」「仲間を裏切りたくない」を気持ちに引き裂かれていた。

 籠城メンバーには中学生や高校生もおり、最後は校長たちが構内を訪れて教え子を連れ出し、ついで民主派の議員が学生や活動家に投降を促して「城」は陥落した。治安警察は放水やガス弾しか使用できず、学生も火炎瓶を投げるくらいなので、その光景は1969年に全共闘の活動家が東大安田講堂を占拠したときとよく似ている。半世紀たったちがいは、スマホなどによって内部の様子が記録され世界に配信されことだ。

 ただし、街頭運動ではICTのちからが如何なく発揮された。デモ参加者はテレグラムを使ってメッセージを暗号化し、連絡を取り合って離合集散を繰り返した。

 時代革命を象徴するのが“Be Water(水になれ)”で、ブルース・リーの言葉とされる。「水は流れ、動き、時に分散しても、また新たなかたちをつくることができる」という意味で、テクノロジーがなければ、リーダー不在の大規模な抗議活動を1年以上にわたって維持できなかっただろう。ドキュメンタリー映画『時代革命』(キウィ・チョウ監督)には、デモ隊が警官を避けて街を縦横に(まさに水のように)駆け回る様子をドローンで撮影した印象的な場面がある。

 だがこの映画でも、香港理工大学の攻防戦以降は“水”になることができなくなり、必然的な敗北に向かっていく様子が重苦しく描かれていた。民主化運動の参加者は、話し合いによる解決を求める「和理非(平和・理性・非暴力)」と、武装闘争によって局面を打開しようとする「勇武(武闘派)」に分かれるが、大きな混乱を引き起こした香港国際空港の占拠以降、当局の対応が厳しくなったことで勇武派が主導権を握るようになる。これが警察との直接対決を引き起こしたのだが、完全武装した警察部隊に投石と火炎瓶で立ち向かうのでは最初から結果は決まっていた。