SNSで毎日のようの起きているバッシングや罵詈雑言の応酬を見て、世の中にはなぜこんなに多くの「悪意のひと」がいるのかと思ったことはないだろうか。アメリカの心理学者サイモン・マッカーシー=ジョーンズは、『悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?』(プレシ南日子訳、インターシフト)で、進化の視点からこの謎に挑んでいる。原題は“SPITE”で、“Malice(敵意。相手を傷つけようとする意図的な悪意)”ほどではない「意地悪、嫌がらせ」のニュアンスなのだろう。

なぜひとびとは悪意を抱きつづけるのか?「進化的悪意」が科学の進歩に大きな貢献をしたPhoto:Graphs/PIXTA

 マッカーシー=ジョーンズ(以下、ジョーンズ)は、他者との交流には基本的に次の4種類があるとする。

・利己的行動 自分だけが利益を得る。その結果、他者に害を及ぼすこともある
・利他的行動 自分がコストを負担して他者に利益を与える
・協力行動 自分と他者の双方に利益をもたらす
・悪意のある行動 自己と他者の双方に害を及ぼす

 一般に「悪意(意地悪)」というと、いじめのように、自分は安全なところにいて相手を一方的に傷つける言動をイメージするだろう。だがジョーンズの定義では、自分になんのリスクもない行為は「悪意」とはいえない(悪意から派生したものではある)。自分がコストを支払ってでも、相手により大きな害を与えようとすることが、本書で扱われる「悪意」だ。

 これが進化論的に興味深いのは、全員に害が及ぶような性向は自然淘汰で遺伝子プールから排除されるはずだからだ。だとすれば、悪意には生存や生殖に資するなんらかのポジティブな効果があるはずだ。これをジョーンズは「進化的悪意」と呼ぶ。

「最後通牒ゲーム」で進化的悪意を調べる

 進化的悪意を調べるもっとも効果的なツールは、心理学や行動経済学の実験でよく使われる「最後通牒ゲーム」だ。シンプルな設定では、1人が10ドル(約1300円)を与えられ、そのうちいくらかを分け与えるよう指示される。相手には、提示された金額を受け入れるか、拒否するかの選択権がある。相手が応諾すればそれぞれの取り分をもらい、拒否すれば2人とも一銭ももらえない(すべてを失う)。

 ゲームの基本設定では、2人は匿名で(別の部屋にいて、名前はもちろん男女や年齢などいっさいの属性は伏せられている)、コミュニケーションをとることもない。1人が一方的に金額を提示し、もう1人がそのオファーに応じるかどうかを決めるだけだ(どちらも交渉の余地のない「最後通牒」になる)。

 あなたがお金を分け与える側だとすると、もっとも経済合理的なのは、最少金額(たとえば1ドル)を相手に提示し、自分は9ドルを受け取ることだ。問題は相手に「拒否権」があることで、これを行使されると、せっかくもらえるはずのお金を失ってしまう。

 あなたがお金を受け取る側だとすると、理不尽だと感じるオファーに対しては、自分がもらうはずのお金(1ドル)を放棄することで、相手が期待しているお金(9ドル)を剥奪し、罰することができる。これが、コストを払ってでも相手を害する「悪意」だ。

 経済学が前提とするホモ・エコノミクス(合理的経済人)であれば、道に落ちていたお金を拾うのと同じ不労所得なのだから、提示された金額がいくらでも喜んで受け取るはずだ。だが実際には、1:9のような極端な格差をつけると拒否権を行使されて元も子もなくなってしまう。

 もっとも安全なのは5:5で、この公平な申し出が拒否されることは(たぶん)ない。だがお金を分け与える側には優位性があるのだから、4:6でも公平だと考えるひともいるだろう。実際、欧米や日本などでこの最後通牒ゲームを行なうと、提示する金額の平均はその中間の4.5:5.5くらいになる。それに対して1:9のような「差別的」な提示は75%が拒否し、3:7でも約半数が拒否権を行使した。

 公正(フェアネス)の感覚には文化によるちがいがあって、南米(ラ・プラタ川流域)に暮らすグアラニー(アチェ)族では2:8のオファーを断った者はいなかった。ところが同じ狩猟採集民でも、タンザニアのハヅァ族では80%が2:8の申し出を拒否した。理由のひとつは生活の余裕(経済的ゆたかさ)で、食料の獲得が容易だと悪意は減り、環境がきびしくなると悪意が増すらしい。

「ホモ・レシプロカス(互恵人)」と「ホモ・リヴァリス(競争人)」

 最後通牒ゲームで拒否権を行使することを「悪意」と見なすのは、違和感を覚えるひともいるだろう。理不尽な申し出をした相手を罰するのだから、これは「正義」ではないのか。

 本書が興味深いのは、「悪意」と「正義」という、通常は正反対とされているものが、同じコインの裏表だと述べていることだ。正義の裏には悪意が隠されているし、悪意と思われる言動も、少なくとも本人にとっては正義だったりする。

 ここでジョーンズは、人間には「ホモ・レシプロカス(互恵人)」と「ホモ・リヴァリス(競争人)」という2つのタイプがあるとする。

 ホモ・レシプロカスは多数派で、親切にされたらお返しをし、悪意のある対応をされたら報復する。社会心理学では、わたしたちは世界が公正なものであるべきだという「公正世界信念」をもっており、その正義を守るためにはコストを支払う(場合によっては自分が傷つく)こともいとわないと考える。強い互恵主義者になると、行列の後ろに横入りしようとした(自分にはなんの不利益もない)相手を怒鳴りつけたりする。彼ら/彼女たちを突き動かすのは道徳的な怒りだ。

 それに対して少数派のホモ・リヴァリスは、悪意のある対応をされたときはもちろん、親切な対応をされたときも懲罰を選択する。このタイプにとって重要なのはつねに相手の上位にいることで、この世界は生きるか死ぬかの競争なのだから、勝つためには手段を選ばないのは当然なのだ。

 道徳的なホモ・レシプロカスは「支配に抗する悪意」、利己的なホモ・リヴァリスは「他者を支配する悪意」ということもできる。これは、次のような簡単な質問で見分けられる。

以下の3つの選択肢のうち、あなたはどれを選びますか?
(1)あなたは480ポイント、相手も480ポイントもらう
(2)あなたは540ポイント、相手は280ポイントもらう
(3)あなたは480ポイント、相手は80ポイントもらう

 経済合理的な個人主義者(利己主義者)であれば、躊躇なく(2)を選ぶだろう。相手(見ず知らずの他人)がいくらもらえるかはどうでもよく、自分がもっとも多くのポイントを獲得できる選択が最良なのだ。

 だが実際には、こうしたホモ・エコノミクスは5人に1人程度(約20%)と多数派ではない。もっとも多いのは、自分も相手も同じだけもらえる(1)を選択するホモ・レシプロカスで3人のうち2人(約66%)だった。

 ホモ・エコノミクスであれ、ホモ・レシプロカスであれ、(3)の選択は意味がわからないだろう。自分の取り分が同じであれば、相手がいくらもうおうと(少なくとも自分と同じであれば)どうでもいいからだ。

 だが、自分は損をしないのに全体としての取り分が少なくなる、この不合理な選択をする者が7%(およそ15人に1人)ほどいるらしい。なぜなら、相手が損をすればするほど、自分が有利になるからだ。これがホモ・リヴァリスだ。