企業が社会課題の解決に取り組むことが当然の時代となりました。しかし、「どのように」に注目が集まることはあっても、「なぜ」を掘り下げることはあまり多くありません。「意味のイノベーション」は、「なぜ」それに取り組むのかが浮き彫りになるアプローチです。今回取り上げる事例は、世界的なファッションブランドを作り上げた1人の企業家が、田舎に意味を生み出し、それを企業活動に重ねていったというストーリーです。彼の「なぜ」の始まりは子ども時代の体験にありました。
わずか数十年でエルメスと並ぶブランドを構築
前回、イタリアのトスカーナ州オルチャ渓谷における「ありきたりの田園風景」に起こった「意味のイノベーション」を紹介しました。今回は、そのトスカーナ州の隣にあるウンブリア州ソロメオ村のやはり美しい田園風景を取り上げます。しかし、これはオルチャ渓谷の例とは異なり、1人の企業家が主導しながら進めてきたプロジェクトです。
企業家の名はブルネロ・クチネリ。2022年の売り上げが1000億円を超える同名の総合ファッションメーカーの創立者です。同社は1978年設立ながら、19世紀前半に創立されたフランスのエルメスと並ぶブランドとして格付けされています。経営者のブルネロ自身は「人間主義的資本主義」の実践者と称され、複数の大学から名誉博士号を授与されていますが、彼の経営哲学には自身の生い立ちとその経験が強く影響しています。
©Brunello Cucinelli
このブルネロの人生をイタリアの歴史と重ね合わせてみます。すると、彼の企業家としての斬新な歩みと田舎に対する意味のイノベーションが、ダブってくるのです。ブルネロが意味のイノベーションに必要な社会の動向を実によく読んでいるといえます。
彼のたどってきた道を振り返ってみましょう。ブルネロ・クチネリはウンブリア州の貧しい農家の子どもでした。50年代においてさえ、電灯のない家で生活をしていたのです。アセチレンランプとロウソクが夜の灯火です。そうかといって心まで貧しい家庭であったわけではありません。自然の恵みを受け、精神的に安定した日々を送っていたのです。転機になったのは、ブルネロが中学生の頃、父親が農家をやめて州都ペルージャ郊外のセメント工場の従業員になったことです。
それまで愚痴などこぼしたことがなかった父親が、職場で上司や同僚から人間性を否定されるような扱いを受けたことを家庭で話すようになったのです。そのとき、ブルネロ自身も同世代の少年たちから「田舎者」と差別され、侮辱を受けていました。父の話を聞いたブルネロは、将来、人間の尊厳が守られるような仕事をしたいと考えるようになります。その志を貫き通した結果、20代の後半で、ブルネロはファッションメーカーを立ち上げました。
当初、カシミヤ製品に注力しました。従来、カシミヤ製品の市場は黒やグレーなどの地味な色の紳士用セーターがメインだったのですが、ブルネロはカラフルな色の女性用セーターを市場に展開し、ヒットさせるのです。そして2012年、ミラノ株式市場(イタリア証券取引所)に上場し、総合ファッションメーカーへと成長していきます。カシミヤの意味のイノベーションが彼のビジネス基盤をつくったといえます。