長い歴史を持つ楽器の文化を継承しつつ、オリジナリティーのある製品を世に送り出していく──。「世界唯一の総合楽器メーカー」のヤマハでは、この両者をどのように融合しているのだろうか。企業の中で「拡張するデザイン」の力に注目することで「ビジョンやパーパスをいかに実際のビジネスにつなげていくか」という、多くの企業が直面している課題解決のヒントを探る。ヤマハデザイン研究所所長の川田学氏に、ヤマハデザインの流儀を聞いた。(聞き手/芝操枝 日本インダストリアルデザイン協会[JIDA]、構成/音なぎ省一郎、フリーライター 小林直美)
本質を押さえて革新する――「引き算のデザイン」から生まれたサイレントバイオリン
──楽器は、文化的な側面が強いプロダクトです。そのデザインにおいては、「歴史の継承」と「現代的な洗練」を両立させるところにご苦労があるのではないでしょうか。
おっしゃる通り、「人類史の宝」としての楽器の価値をリスペクトした上で、現代の工業製品として何をすべきか――これは私たちの大きなテーマです。ヤマハのデザイン研究所では、INTEGRITY、INNOVATIVE、AESTHETIC、UNOBTRUSIVE、SOCIAL RESPONSIBILITYという五つの言葉をデザイン理念として、1987年より36年間にわたって掲げ続けています。本質を押さえた上で、革新的で、美しく、でしゃばらず、社会的責任を果たす、そんなデザインを目指そうというものです。
──特に「本質」と「革新」は相反することが多いように思います。両者をどのように融合させているのでしょうか。
97年に初めて世に出した「サイレントバイオリン」は、その一例です。ボディーをなくして周囲に響く音を抑えつつ、イヤホンを通してデジタル技術で再現した自然な音色が楽しめる楽器です。音を消してしまうなんて楽器の本質から外れている、と思われるかもしれませんが、バイオリンは初心者が弾くと「ギーコギーコ」と粗雑な音が出ます。弾けることへの憧れはあるけど、未熟な演奏を聴かれるのは恥ずかしいし、周囲も不快にさせるのではないかと気になってしまう。サイレントバイオリンはそんな気持ちのバリアーを取り払います。こっそり練習できること、いつでも本格的に練習できることが、この楽器における本質なのです。
電子部品や電池を搭載するとどうしても重くなってしまうので、軽量化は必須でした。製品デザインでは「引き算」に徹しています。楽器と体とのインターフェースは残しつつ、不要なものは徹底的にそぎ落とす。音を響かせるボディーは消す、しかし弓を動かすガイドとして片方の輪郭は残し、構えるための顎当ても残し……という具合。バイオリンほどに成熟した楽器でも、長い歴史を尊重した上で現代の使用シーンに適合させ、その本質を押さえつつ革新することは可能なのだと思います。