話には聞いていたが、これほどとは思わなかった。5月はじめにタイのバンコクを久しぶりに訪れたが、繁華街のスクンビットで、あちこちに大麻の葉のマークを掲げた店やカフェを見かけたのだ。――アサ(大麻草)の花冠や葉を乾燥・樹脂化した嗜好品はマリファナ(marijuana)と呼ばれたが、英語圏ではこの呼称は有色人種(メキシコ系移民)に対するネガティブな含意があるとされ、PC(ポリコレ)的には学名であるキャナビス(cannabis)が好まれるようになった。以下の記述ではキャビナスの日本語訳である「大麻」を使う。
バックパッカーが集まるカオサン通りには「Plantopia Weed City(プラントピア 葉っぱの街」というロゴを掲げたビルがあって、地下には十数軒の大麻ショップが集まり、買った商品をその場で試すスペースも用意されていた。私が訪れたのは昼だったが、夜になればカオサン通りに並ぶパブのテラス席が大麻の煙に包まれるのだろう。
価格を見ると、1グラム600バーツ(約2400円)、2グラムで1000バーツ(約4000円)程度で、1回の使用量を0.5グラムとすると、日本円で1000円くらいで大麻体験ができる。
さらに驚いたのは、ごくふつうのコンビニ(たとえばセブンイレブン)まで大麻入りのジュースやスナック菓子が置かれていたことだ。いったいこの国でなにが起きているのだろうか。
ドラッグの「非犯罪化」は個人による薬物の私的使用を犯罪としないこと
「ドラッグ解禁」といわれるときは、「非犯罪化」と「合法化」がしばしば混同される。さらに、ドラッグには大麻(マリファナ)などのソフトドラッグと、精製によって効果を高めたヘロイン、コカイン、覚醒剤(メタンフェタミン)などのハードドラッグがある。
非犯罪化は個人による薬物の私的使用を犯罪としないことで、現在では欧米は実質的に非犯罪化されている(薬物を使用しただけで逮捕・収監されることはほぼない)が、薬物の密輸・密売は犯罪として処罰される。
アメリカは1933年に禁酒法を廃止したが、それと同時にヘロインなどのドラッグに対するきびしい取り締まり、いわゆる「麻薬戦争」を始めた。2022年の映画『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』で描かれたように、当初は黒人ジャズミュージシャンら使用者も逮捕・起訴していたが、その後、アルコール依存症と同様に薬物依存症も病気だと見なされ、治療に重点が置かれるようになる。1960年代後半のヒッピームーヴメントでドラッグが白人中産階級の子弟に急速に広まると、大麻だけでなくコカインなどハードドラッグも事実上、非犯罪化された。
だがその反動で、80年代のレーガン時代になると、ドラッグによる治安悪化(中南米からの移民がアメリカに悪習を持ち込み社会を破壊する)の懸念が高まり、ささいな犯罪にも重罰を科す「ゼロ・トレランス(不寛容)」政策へと転換する。その結果、ヤッピーのような白人富裕層がコカインを娯楽として楽しむ一方で、有色人種(とりわけ黒人)が少量のドラッグを販売した罪で大量投獄される事態となり、現在のBLM運動に続く大きな社会問題を引き起こした(カール・エリック・フィッシャー『依存症と人類 われわれはアルコール・薬物と共存できるのか』松本俊彦監訳、小田嶋由美子訳、みすず書房)。
ポルトガルは2001年にすべての薬物の娯楽使用を非犯罪化したが、薬物販売の規制を求める国連条約に抵触する恐れがあるため、ドラッグを合法化したわけではない。アメリカとのちがいは、ポルトガルが薬物販売を犯罪として取り締まることを実質的に放棄したことだ。アメリカでは、薬物政策予算の90%を警備活動と処罰のために使っているが、ポルトガルはこの政策転換によって、予算の90%を治療と予防のために活用できるようになった(これは大きな成功と評価されている)。
世界ではじめてドラッグを合法化したのは、「世界で最も貧しい大統領」として日本でも知られるウルグアイのホセ・ムヒカだ。ムヒカは、中南米に跋扈する麻薬カルテルが国内にはびこるのを防ぐには、薬物の販売を犯罪集団の手から薬局などの店舗(あるいはそれ以外の合法的な販売ルート)に任せるしかないと判断した。