「日本へ輸出できる米」など用意されていなかった

 米が不足すると、価格が高騰します。これを回避すべく、外国から米の緊急輸入を進めました。まず1993年11月にタイからうるち米が輸入され、翌年には他国からも米が輸入されました。

 内訳は中国から108万トン、タイから77万トン、アメリカ合衆国から55万トン、オーストラリアから19万トンでした。

 元々、米を自給していた日本に対して、輸出用の米を品質、量ともに生産していた国などありませんでした。輸入によって量的不足は解消されますが、輸入米の多くがインディカ米であったため、日本人の中には「こんなまずい米が食えるか!」と輸入米に対して文句を言う人もいました。

 結局、輸入米のうちおよそ98万トンが売れ残りました。苦しい状況を助けてもらっておきながら、この態度です。日本ではもっと「食育」を充実させる必要がありそうです。

 この「平成の米騒動」は翌年には解消されました。1994年はラニーニャ現象が発生し、一転して猛暑となったことで大豊作となったのです。

 それはさておき、1993年のGATTのウルグアイ・ラウンド農業合意によって米市場の部分開放が決まり、日本国内の法体系との整合性を取るためにも、食糧管理制度を見直す必要が出てきました。こうして制定されたのが1995年の食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)であり、政府の役割は備蓄米の運営、ミニマム・アクセス米の運用に限定されていきます。

 政府備蓄米とは適正備蓄水準を100万トン程度に設定して運用しており、10年に一度の不良とされる作況指数92にも対応します。毎年21万トン程度を買い入れ、5年たったら飼料用として売却されます。

 本来「ミニマム・アクセス」とは輸入機会の提供のことで、国内農家に悪い影響を与えないように、国が一元的に輸入して販売しています。つまり国家貿易ということです。

 いつの時代も、自然環境の変化が、われわれの生活様式に変革を迫ってきます。「異常気象」とはいいますが、本来「同じことが続くこと」が異常なのです。こうした突発的な現象も、実はごくごく自然なことなのかもしれません。

(本原稿は、書籍『経済は統計から学べ!』の一部を抜粋・編集して掲載しています)