荒井 あくまでも私は中立的な立場で働く国連職員なので、“日の丸”を掲げて仕事をすることはないです。ですから、働きながら自分が日本人であることを意識したことはあまりありません。ただ私の場合、ジュネーブの本部に身をおきながらも活動の場はアフリカ、ラテンアメリカ、アジア、コーカサス地方といった途上国です。現地に行くと、国籍をよく聞かれますね。「日本人です」と言うと、にっこり笑顔で、「日本は車やテクノロジー、イノベーションが素晴らしい」とか、「日本人が好き」から話が始まり、「日本の発展はミラクル。成功のヒントや歴史を教えてほしい」、と熱心に聞かれることも多いですよ。海外に出て日本の良さを改めて発見し、また、日本人であることに以前より誇りを持つようになったかもしれません。

きっかけはペルーで見た児童労働
「子どもが毎日学校に通えるようにしたい」

いしぐろ・ふじよ
ネットイヤーグループ代表取締役社長兼CEO スタンフォード大学にてMBA取得後、シリコンバレーにてハイテク系コンサルティング会社を設立し、日米間の技術移転等に従事。2000年よりネットイヤーグループ代表取締役として、ウェブを中核に据えたマーケティングを支援し独自のブランドを確立。著書に『言われた仕事はやるな!』(朝日新聞出版)がある。
Photo by T.U.

石黒 そうなんですね。ところで、荒井さんはどういうご経歴を経て、今、ILOで働いていらっしゃるんですか?

荒井 生まれは東京ですが、父の仕事の関係で小学4年~中学2年までの合計5年間、アメリカで過ごしました。その後日本に戻り、高校と大学は日本、大学院はアメリカです。

石黒 なぜアメリカの大学院に?

荒井 もともと日本を出るつもりはありませんでした。それが大学3年生のときに、ペルーのフジモリ元大統領のお招きで、大学訪問団の一員としてペルーを訪れたのです。実はフジモリ元大統領の三選目がかかった選挙活動中ということもあり、単なる観光のみならず、地方の貧困地域を大統領ご自身が連れて回ってくださいました。

 その1週間ほどの滞在の間に、ペルーの首都リマ郊外にあるスラム街に設立された小学校の開校式に呼ばれて参列してきました。水も電気もない、子どもは裸足で走っている。ものすごい貧困地域です。こうした貧困状態にある子どもたちを見たときに、同じ地球上にいながら他人事じゃない、この地球上にあってはいけないことだと思いました。でも、学校ができたことで、子どもたちの目が輝いているわけですよね。それを見て、そんな子どもたちが学校に通えるようになったらいいな、すべての子どもが学校に通える社会の構築に携わってみたいと考えるようになりました。これが今でも自分のミッション(使命)であり、パッション(情熱)となっています。

 もともと幼少時代カリフォルニアに住んでいたので、身近にメキシコや中南米出身の人が多く、ラテンアメリカには興味があったと思います。ただ、ペルーで自分の受けた衝撃はそれを大きく超えたもので、パーソナル・インタレスト(個人的関心)がプロフェッショナル・インタレスト(職業的関心)と重なった瞬間でした。そして、「児童労働撲滅」が、個人としての目標でもあり、職業人としての目標ともなりました。

 貧困が児童労働を生み、子どもが教育を受けなければのちのち良い仕事に就けない。するとまた貧困を再生産し、その貧困が再び児童労働を生む…と悪い連鎖を断ち切るには、教育だけではなく、もっと子どもを取り巻く環境、経済発展、産業育成、親の収入機会の促進、技術訓練など包括的に考えるべきだと思ったのです。