ヘイトクライム(憎悪犯罪)はなぜなくならないのか。その理由は、脳科学的にはほぼ解明されている。
徹底的に社会的な動物として進化したヒトには、相手を内集団(俺たち)か外集団(奴ら)かに瞬時にカテゴリー分けする高度な脳のプログラムが生得的に組み込まれている。偏見や差別は、内集団をひいきし、外集団を敵視することから生じる。
意識のうえでは(あるいは口先では)どれほどリベラルでも、無意識レベルでは偏見を抱いていることもわかってきた。潜在的連合テスト(IAT)は無意識の偏見(ステレオタイプ)を計測する巧妙な手法で、「黒人は暴力的だ」というステレオタイプを持っていると、「黒人+銃」の画像の組み合わせに対して、「白人+銃」や「黒人+花」の組み合わせよりも素早く反応する。このテストを利用した膨大な研究によって、大半の白人が黒人に対して恐怖や嫌悪、警戒感を抱いていることが明らかになった。そればかりか、黒人被験者の半数以上が、黒人より白人を好んでいることも一貫して示されている。
現在では、「拡散磁気共鳴画像スキャナー(拡散MRI)」などの脳科学の先端テクノロジーを使って、偏見をより直接的に観察することもできる。大脳辺縁系の扁桃体は危険を察知すると活性化し、島皮質は腐った味や臭い対して嫌悪反応を引き起こす。白人被験者の脳を観察すると、黒人の画像を見たときに扁桃体や島皮質が活性化することがわかる。
とはいえこれは、「白人はみなレイシストだ」ということではない。外集団を警戒するのは脳の自然な反応だが、わたしたちのほとんどは、この「ポリコレ的に不適切な活動」を前頭前野の働きで抑え込んでいる。
扁桃体や島皮質をアクセル、前頭前野をブレーキとするならば、ヘイトクライムとは、扁桃体・島皮質が過敏でアクセルを踏み込みすぎるか、前頭前野の働きが弱くブレーキがうまく利かないときに起こるのだろう。
これが脳科学の説明だが、それでもまだ疑問が残る。社会のなかに一定数、偏見を抱きやすいひとがいるとしても、それがただちに暴力につながるわけではない。だとしたら、偏見を暴力に変えるものはいったい何なのか?
大学の卒業パーティでゲイクラブに繰り出したとき、店の前で3人の男たちに殴打されるというヘイトクライムを体験したマシュー・ウィリアムズは、その後、大学院の専攻を犯罪学に変えてこの問題を研究することになる。『憎悪の科学 偏見が暴力に変わるとき』(中里京子訳、河出書房新社)はその集大成だ。
「人間の活動の究極要因は、死を拒絶しようとする無意識の努力だ」
近年の世界各地のヘイトクライムの急増はすべて、重要な選挙、裁判、テロ攻撃、あるいは政策変更の直後に生じている。これらのトリガーイベント(きっかけ)が起こると、偏見を封じ込めておくことができなくなり、「加害者」と見なした集団に暴力を行使する者が現われる。「正義」を実行することによって、あふれ出す感情を払拭しようとするのだ。
これが、イスラーム原理主義者のテロの直後にムスリム移民へのヘイトクライムが増加する理由で、ここまでは人間の心理としてわかりやすい。だがウィリアムズは、その背後には「死の拒絶」があるという。
1960年代、異端の文化人類学者アーネスト・ベッカーは、「人間の活動の究極要因は、死を拒絶しようとする無意識の努力だ」として「存在脅威管理理論(TMT)」を唱えた(アーネスト・ベッカー『死の拒絶』今防人訳、平凡社)。フロイト流の精神分析(主流派の心理学では「トンデモ科学」と見なされている)を思わせるこの説は、「すべての生き物は生殖を最大化するように進化した」という進化論とも相いれないため、ずっと無視されてきた。
ベッカーの死後、捨て置かれていたこの理論を復活させたのが、ジェフ・グリーンバーグらの心理学者で、1980年代以降、独創的な実験によって「死を意識させると行動が変容する」という大量の研究を積み上げている(シェルドン・ソロモン、ジェフ・グリーンバーグ、トム・ピジンスキー『なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか 人間の心の芯に巣くう虫』大田直子訳、インターシフト)。
たとえば、「自分自身の死を考えたとき、心のうちに生じる感情を簡潔に説明してください」という質問に答えた判事は、死とは関係のない質問に答えた判事に比べて、売春婦の保釈金を大幅に引き上げた(一般的な保釈金の平均が50ドルなのに対し、死を想起させられた判事の平均は455ドルだった)。意識を持つことで自らの死すべき運命を直視せざるを得なくなった人類は、そのとき以来、「死の影」を逃れようと必死の努力を続けている。各地に残る巨大な宗教施設は、「存在脅威」の管理のためにつくられたのだ。
このTMTが正しいとすると、自らの死を意識させられるようなイベントが起きたあと、わたしたちは無意識のうちに極端な反応をしやすくなるはずだ。このような「存在脅威」への対処法のひとつに、文化的世界観への一体化がある。
個人の生命は有限でも、共同体は未来永劫続いていく。そう信じられれば死の脅威はやわらぐが、そのためには、共同体は「善」を体現する(世界に光をもたらす)聖なるものでなければならない。自らが属する共同体が不滅の聖性を持ち、それと一体化したと思えたときに、はじめて「象徴的不死」を実感できるのだ(この一体化は「アイデンティティ融合」と呼ばれる)。
旧約聖書をひもとけばわかるように、人類はずっと(おそらくはチンパンジーとの共通祖先の数百万年前から)異なる集団(社会)と殺し合い、絶滅(ジェノサイド)させてきた。だとすれば脳は、外集団からなんらかの脅威を受けたとき、「このままでは殺されてしまう!」という警告をけたたましく鳴らすはずだ。
このようにしてわたしたちは無意識に、「内集団」を聖なるもの、「外集団」を汚れたものと見なし、外集団を排斥しようとする。これが、脅威を感じさせるトリガーイベントがヘイトクライムを引き起こすときの「究極要因」だ。
興味深いことに、「信仰を持たない被験者では、死を想起することによる、イスラム教徒に対するネガティブな態度が増加したが、この効果は信仰心が篤い被験者の大部分には見られなかった」という調査結果がある。だがこれは、宗教(神)が存在脅威に対処するために創造された「壮大な文化装置」だと考えれば、当然ともいえる。信仰によって象徴的不死を与えられたひとは、トリガーイベントが起きても、それを自らの存在への脅威だと見なさないのかもしれない。