「幸福」を3つの資本をもとに定義した前著『幸福の「資本」論』からパワーアップ。3つのの資本に“合理性”の横軸を加味して、人生の成功について追求した橘玲氏の最新刊『シンプルで合理的な人生設計』が話題だ。“自由に生きるためには人生の土台を合理的に設計せよ”と語る著者・橘玲氏の人生設計論の一部をご紹介しよう!
複雑系世界は予測できない
前提条件が満たされていれば、統計解析はきわめて強力な未来予測の道具で、莫大な利益を生み出すこともできる。ただし問題は、競馬やスポーツベッティングに多くの会社が参入したように、未開拓の緑地はたちまち刈りつくされてしまうことだ。残っているのは、統計的な手法が役に立たない分野だけだ。
株式市場には秒単位の膨大なデータがあるのだから、それを統計解析して騰落を予測できれば、そこから得られる富は天文学的なものになる。当然、多くの数学の天才たちがこの課題に挑んだが、けっきょくのところ統計学はなんの役にも立たなかった。それは株式市場がベルカーブ(正規分布)ではなく、ロングテール(ベキ分布)の複雑系だからだ。
日常的な用語としては「リスク」も「不確実性」も同じものとして扱われているが、この両者には厳密な区別がある。
「リスク」は統計的世界(ベルカーブ)の事象のばらつきで、データが揃っていれば将来を確率的に予測できる。それに対して「不確実性」は複雑系(ロングテール)の出来事で、「とてつもないこと」が起きる可能性がつねにあり、原理的に未来を予測することはできない。
恐竜ブロントサウルスに譬えるなら、複雑系の世界は「ショートヘッド」と「ロングテール」から構成される。ほとんどのことはショートヘッドで発生するが、長く伸びた尾(ロングテール)の先では「とてつもないこと」が起きる。それは身長1メートルのホビットの群衆のなかに、身長10メートルや100メートルの巨人がいるような世界だ。
こうした状況は、わたしたちの周囲に簡単に見つけることができる。インターネットは典型的な複雑系で、1日に数十件や数百件のアクセスしかないサイトがほとんどのなかで、Yahoo!やGoogleは膨大なアクセスが集中するテールの端になっている。同様に、フォロワーが数十人のSNSが大半なのに、テールの端にはバラク・オバマ元大統領やイーロン・マスクのように1億人超のフォロワーをもつセレブリティがいる。
インターネットやSNSはネットワーク構造になっていて、テールの端に位置するサイトや人物が大きな影響力をもつハブになる(日本の航空網では、成田や羽田、関西空港がネットワークのハブだ)。
資産の分布も典型的なロングテールだ。多くのひとは貯金もできずにかつかつの生活をするショートヘッドだが、イーロン・マスクは20兆円、ジェフ・ベゾス、ビル・ゲイツ、ウォーレン・バフェット、(グーグル創業者の)ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンらは10兆円を超える資産(その大半は自社株)をもち、テールの端に位置している。
マクロ経済学は科学なのか
ロングテールはベキ分布として表わせるものの、テールがどこまで伸びていくのかわからないために、数学的なモデル化ができない。しかしショートヘッドからテールの途中までは、ベキ分布は正規分布(ベルカーブ)によく似ている。
これを利用して、ベキ分布を正規分布で代替したうえで、極端な事象が起きる確率を高めに見積もるという手法が考案された。統計学を援用してロングテールに対応できれば便利だからだが、ヘッジファンド・マネージャーで思想家でもあるナシーム・ニコラス・タレブが繰り返し指摘するように、このやり方はまったくうまくいかなかった。
そもそも、ロングテールの(とてつもない)出来事をどのように予測するかの客観的(統計学的)な方法があるわけではなく、これはモデル設計者の主観に任されることになった。そうなると、さまざまな「大人の事情」から、よいことが起きる確率を高めに、悪いことが起きる確率を低めに見積もるよう強い圧力を受ける。結果として、リーマンショックのような「とてつもなく悪いこと」が起きたとき、どのようなリスク管理モデルもなんの役にも立たなかったのだ。
市場は典型的な複雑系なので、マクロ(数理)経済学がやってきたような数式による市場のモデル化は原理的に不可能だ。アインシュタイン、フォン・ノイマンと並ぶ20世紀が生んだ天才の一人で、フラクタル(複雑系)を発見した数学者のベノワ・マンデルブロは、マクロ経済学を科学とは認めなかった。
それにもかかわらず、ルネサンス・テクノロジーズ(メダリオン)のように驚異的なパフォーマンスを継続しているヘッジファンドがあるが、彼らはとうのむかしに株価の予測を放棄している。クオンツと呼ばれるヘッジファンドがやっているのは、コンピュータ(AI)で市場を監視して価格の歪みを検知し、小さな利益を無限に積み上げていく裁定取引だ。
※この記事は、書籍『シンプルで合理的な人生設計』の一部を抜粋・編集して公開しています。
作家
2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)など。最新刊は『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)。毎週木曜日にメルマガ「世の中の仕組みと人生のデザイン」を配信。