100メートルを4秒台で走ったレベルの数字

 この勝差がどれだけ圧倒的だったか、ちょっと考えてみよう。コニーアイランドのホットドッグ早食い大会は、歴史的に見れば100メートル競走ほど重要じゃないけれど、とりあえずコバヤシのすごさをこれにたとえてみる。

 100メートルの世界記録はウサイン・ボルトという、俊足にぴったりの名前のジャマイカ人選手がもつ、9秒58だ。あっというまに終わるこのレースでも、ボルトはライバルに何歩も差をつけることが多く、人類史上最速のスプリンターと呼ばれる。ボルト以前の世界記録は9秒74だったから、ボルトは記録を1.6%も縮めたのだ。

 だがもしウサイン・ボルトがコバヤシみたいな記録の破り方をしたら、100メートルを4秒87、平均時速に直すと約74キロメートルで走ることになる。これはグレイハウンド犬とチーターの中間あたりの速さだ。

 コバヤシは次の年も、その後の4年間も続けて優勝し、記録を53と4分の3本まで伸ばした。それまでのチャンピオンには6年連続はおろか、3回以上優勝した人は一人もいない。でも彼が際立っていたのは、圧倒的な勝差だけじゃなかった。それまでの早食い選手といえば、コバヤシ自身をとって食えるほどのガタイをしているのが普通だった。ピザをまるまる2枚とコーラ6本を一気に平らげる大食らいとして、学生寮に名を轟かすような連中だ。ところがコバヤシは、物腰が柔らかく、お茶目で、論理的に物事を考えるタイプなのだ。

 彼は一躍世界的なスーパースターになった。日本では男子中学生が大食いを真似して給食をのどに詰まらせて死亡する事故が起こってから、大食い大会の人気は下火になったが、コバヤシは世界各地の大会に出没して、ハンバーガーにブラートヴルスト〔訳注:焼きソーセージ〕、トゥウィンキー〔スポンジケーキに甘いクリームが詰まったお菓子〕、ロブスターロール〔ロブスターをマヨネーズで和えてパンではさんだもの〕、フィッシュタコスなどで次々と記録を打ち立てた。

 彼が珍しく負けたのは、テレビで放映された一対一のガチンコ対決だった。コバヤシは2分半ちょっとで31本のソーセージを食べたが、敵は50本も平らげた。敵って? 体重500キロのアラスカヒグマだ。

 コバヤシのコニーアイランド大会での圧勝は、最初は不可解と思われていた。ライバルからはずるを疑う声も上がった。筋弛緩剤や何かの薬物で咽頭反射〔のどにものを突っ込むとオエッとなる反応〕を抑えてるんじゃないの? 胃を広げるために石を呑み込んだという噂も立てられた。果てはアメリカ人に屈辱を与えるために送り込まれた――なにせ独立記念日の大会なのだ――日本政府の刺客だとか、手術して胃が2つあるだなんて説まで飛び出す始末だった。

 ああ残念ながらどれも的外れに思える。それなら小林尊が圧倒的にすごかったのは、いったいなぜなんだろう?