誰も見たことのない食べ方「ソロモンメソッド」とは?

 この問いの答えを探すために、ぼくたちは彼と何度か会った。最初の顔合わせはある夏の夜、ニューヨークはアッパー・ウエストサイドの落ち着いたおしゃれなレストラン、カフェ・ルクセンブルグで行った。

 コバヤシは小食だった――小さなグリーンサラダに、イングリッシュブレックファストティー、それに何もかけない鶏むね肉を少し。終了のゴングが鳴ったとき、あれほど多くのホットドッグを口に詰め込んでいた人物とはとても思えなかった。ムキムキの格闘家がレース編みをチクチクやっているような、そんな違和感があった。「アメリカ人の選手に比べると、ぼくは普段そんなに食べないんだよね」と彼は打ち明けた。「早食いは行儀が悪いし。ぼくがやってるのは、日本人の行儀やモラルに反することばっかり」

 彼が選んだ職業を、母は気に入らなかった。「母には大会や訓練のことは話したことがないよ」。でも2006年にガンで亡くなる少し前、母は息子の姿に勇気づけられたようだったという。「化学療法を受けてたから、吐き気がひどくてね。そしたら『あなたも大食いのときに吐き気と戦っているんだから、私もがまんできそうな気がするわ』って」

 彼は端正な顔立ちをしていて、優しい目と高い頰骨が妖精みたいな印象を与えている。スタイリッシュにカットした髪を半分は赤く、もう半分は黄色く染めているのは、ケチャップとマスタードのつもりだ。コバヤシは初めてのコニーアイランド大会に向けてどんな訓練をしたのかを、静かに、だが熱っぽく語り始めた。あの何ヵ月もの一人での特訓が、実験とフィードバックの大きなサイクルだったのだ。

 コニーアイランドの出場者がみんな似たような戦略をとっていることに、コバヤシは気がついた。というか、そもそも戦略と呼べるような代物でもない。言ってみれば、普通の人が裏庭のバーベキューでホットドッグを食べるやり方を、ただ早回ししたようなものだ。ホットドッグを手にとって、ソーセージとパンを一緒くたに口に突っ込み、端から嚙み砕いていって、水と一緒に流し込む。もっとうまい食べ方があるんじゃないのかと、コバヤシは考えた。

 たとえばホットドッグを端から食べろだなんて、ルールのどこにも書いていない。そこで単純な実験から始めた。食べる前にソーセージとパンを半分に割ってみたらどうだろう? こうすると、嚙んだり呑み込んだりする方法に幅が出たし、口でやっていた仕事の一部を手に任せられてラクになった。

 この作戦は、のちに「ソロモンメソッド」と呼ばれるようになった。ソロモン王が赤ちゃんを2つに切り裂くと脅すことで本当の母親を見分けたという、聖書の話にあやかった名前だ(この話は本書7章にも出てくる)。

 次にコバヤシは、みんながやっているもう一つの方法に疑問をもった。ソーセージとパンを一緒に食べるやり方だ。誰もがこうやって食べていたのは当然だった。ソーセージはパンのなかにしっくり収まっているわけで、楽しみのために食べるときは、柔らかくてクセのないパンが、つるつるしたスパイシーな肉と絶妙に絡み合ってうまい。

 でもコバヤシは楽しみを求めて食べるわけじゃない。ソーセージとパンを一緒に嚙むと、密度がケンカすることがわかった。ソーセージはそもそもしょっぱい肉がチューブにぎちぎちに詰められたものだから、すんなり食道を滑り落ちていく。でもパンは空気をたくさん含んでいて密度が低いから、場所をふさぐし、たくさん嚙む必要がある。

 そこでソーセージとパンをばらしてみた。パンを外したソーセージを手で半分に割って数本まとめて呑みこみ、それからパンを食べることにした。彼はワンマン工場よろしく、アダム・スミスの時代から経済学者が魅了されてきた分業化をせっせと進めた。

 この方法で、イワシを丸呑みする水族館のイルカみたいに、ソーセージを簡単に呑み込めるようになったが、パンにはまだ手こずっていた(バーで賭けに勝つ方法を教えよう。ホットドッグのパンを2つ、飲みものなしで1分以内に食べてみろと、相手にけしかけてごらん。まず無理だから)。

 そこでコバヤシはちがうやり方を試した。2つに折ったソーセージを片手で口に詰め込みながら、もう片方の手でパンをコップの水に浸し、余分な水をギュッと絞ってから口に放りこんだのだ。

 これは意外に思えるかもしれない。パンとソーセージをかぎられた空間に詰め込まなくちゃいけないのに、なんで余分な水まで入れるのか?

 でもパンを水に浸すことには、隠れたメリットがあった。ふやけたパンを食べることで、あまり喉が渇かなくなり、水を飲む時間を節約できたのだ。また水温を変えて実験した結果、咀嚼筋をゆるめるにはぬるま湯がいちばんいいとわかった。水に植物油をたらすと、パンを呑み込みやすくなるようだった。