福田は、総理引退後、世界人類の将来を見越して通称「OBサミット」を立ち上げる。本来なら思想的には相いれないはずの西ドイツの元首相ヘルムート・シュミットとともに、環境問題から戦争、核問題、貧困などあらゆる分野で自国の利益を超え国際社会に提言し続ける。今から40年も前から。通訳として、事務局責任者して、裏舞台までもつぶさに見て、記録してきた著者だから書き得た書籍『OBサミットの真実---福田赳夫とヘルムート・シュミットは何を願っていたのか』。今回は、日本の、国際政治の歴史の一端が見られる貴重な書籍から、「まえがき」の一部を紹介します。
シュミット、群馬県高崎市の墓前に立つ
1996年(平成8年)10月21日。東京から群馬に向かう自動車の窓からは、限りなく青い空がどこまでも続いていました。
「あの鳥はなんだろう」
元・西ドイツ首相のヘルムート・シュミットが、遊泳していた鳥を見て尋ねてきました。それはトンビでしたが、私はとっさに英語が出ず、謝ったことを思い出します。
シュミットを乗せた車が向かったのは、群馬県高崎市の真言宗徳昌寺。ここには、元首相の福田赳夫が眠っていました。お寺はすでに、関係者やマスコミなど数十人が取り囲んでいました。しかし不思議なことに大勢の人がいるにもかかわらず、木の葉一枚揺れないような静けさが漂っていました。
シュミットは墓前に立つと、教えられた通りに真剣な顔でお焼香をし、墓石の前でしばらく立ち尽くしていました。そして、ふと空を見上ると、胸ポケットからハンカチを取り出し、まぶたをぬぐい、まるで感情が一気にほとばしるかのように鼻をかみました。「鉄の宰相」と言われ、冷戦下に安全保障と国際経済に圧倒的な力量を発揮し、ドイツではいまでも高い名声を誇る人物が、涙をこらえているのです。近くにいた私たちもみな、シュミットの涙に感動し、前年七月に九十歳で亡くなった福田赳夫を改めて想い、熱いものがこみ上げてきました。
前年の内閣・自由民主党合同葬にも参列し、弔辞を読んだシュミットが「来年はタケオのお墓参りに行く」と言った時、それを信じる人はほぼいませんでした。国家元首経験者に対して、他国の国家元首やその経験者が儀礼として葬儀に参列することは普通に行なわれます。しかし、故人のお墓、それも都内ではない遠方にわざわざ出向くことは、ありません。この時もシュミットは儀礼的ではなく、まったく個人的に墓参をしたのです。