理想実現のための組織、OBサミット

 シュミットと福田赳夫、この二人が心血を注いだOBサミットを通じて35年以上、私は事務局員、そして通訳として二人を見てきました。ですから、シュミットが高崎の福田赳夫のお墓にお参りすることも、そこで涙したことも、感動はしても「この二人の関係なら当然かもしれない」と、憧憬にも似た感情を抱いたことを今でも覚えております。

「ところで、あの青い大空を遊泳するかの如く、ゆっくり飛んでいた鳥。タケオが戻ってきたかのようだったね」

 墓参からの帰路、少し微笑みながら語りかけてくれたシュミットの心には、いつまでも福田赳夫が生きていたのだと、私は確信しています。本当に、二人はまるで中学生時代からの親友のように胸襟を開き、真摯に討議し、お互いがお互いを頼りあっていました。

「(福田赳夫の)『心と心』という倫理は、人種、文化、言語、生活形態、信仰、イデオロギーなどの相違を超越させてくれるのです。相互理解を可能にし、深めてくれるのです。ある意味、タケオと私はその生き証人だったのです」

 そう、まさにそのとおりでした。

 二人は人種も、文化も、言語も、生活形態も、信仰も全く違う世界の出身でした。厳しい教師の子としてドイツに生まれ育ったシュミット。地主とはいえ、終戦後に解放すべき土地がほとんど残っていなかった家に生まれ育った福田赳夫。しかし二人は根本のところで、福田赳夫の言葉を借りれば「心と心」で、通じ合ったのです。

「あの無限に広がる青空の下で、今日ほど、彼を身近に感じたことはなかった」

 墓参でまた、二人は対話をしているかのようでした。

「私たち二人は、『善良な意図だけではダメだ。そうした善意を実施し、現実のものにする理性と勇気が必要なのだ』と語り合い、努力を誓いあったのですが……」と、言葉を続けました。どんなに素晴らしい考え方も、それが活かされなければ絵空事でしかない。一国の宰相を務めた二人だからこそ、「実現してこそ価値がある」という想いを共有していたのです。

 そして二人は現職の首相を退いたあと、「OBサミット」という、理想実現のための組織をつくり、不可能と思われた米ソ核軍縮に大きな役割を果たし、さらにその先の人類の未来に貢献しようとしたのです。

「OBサミット」とは、1983年に福田赳夫の主唱で創設された国際的な会議体です。会議というと、ただ話し合いがされた程度に思われるでしょう。でもこのグループは違いました。

 例えば米ソ冷戦時代、核軍縮のために米ソ首脳会談が開かれるきっかけをつくったり、環境問題や南北問題、平和やテロ防止、人間や国の根本的なあり方についてなど、数々の具体的な提言を行いました。しかもそれらは、今から考えるとかなり時代を先取りしていたことがわかります。

 その内容については、本書で詳しく触れていきます。

 OBサミットを構成したのは、世界各国の首相や大統領を経験した首脳OBでした。彼らを参加させ、かつ、現役時代に劣らぬ真剣で過酷な会議を行なうことに、福田赳夫やヘルムート・シュミットがどれほど努力を傾けたか。そしてどれほど世界に影響を与えたか。

 もちろん、OBサミットが発出した全ての提言が政策に反映されたわけではありません。むしろ、放置されてきた事の方が多かったのです。もしこれらの提言や宣言が政策に反映されていたのなら、今どれだけ世界は良くなっていたであろうかという思いがあります。そのことに触れるのが、本書の大きな意味の一つです。

 つまり、読者の皆様にOBサミットを知っていただくことによって、これからの世界を良くしていくきっかけにしていただきたいのです。そして読者に特に申し上げたいのは、「OBサミットは日本が主導した数少ない国際的な会議体」だということです。日本人でもこれほどのことができるということを知っていただきたいのです。