福田は、総理引退後、世界人類の将来を見越して通称「OBサミット」を立ち上げる。本来なら思想的には相いれないはずの西ドイツの元首相ヘルムート・シュミットとともに、環境問題から戦争、核問題、貧困などあらゆる分野で自国の利益を超え国際社会に提言し続ける。今から40年も前から。通訳として、事務局責任者して、裏舞台までもつぶさに見て、記録してきた著者だから書き得た書籍『OBサミットの真実---福田赳夫とヘルムート・シュミットは何を願っていたのか』。今回は、日本の、国際政治の歴史の一端が見られる貴重な書籍から、「まえがき」の一部を紹介します。

福田赳夫、起つ

【OBサミットの真実】<br />通訳・事務局としての35年分の膨大な資料が明かす

 私は1983年のOBサミット開設から2018年まで35年、事務局スタッフとしてOBサミットの業務のほとんど全てに携わりました。直接見聞した重要なことを、いつかまとめることを漠然と夢見ておりましたが、とても私の手にはおえない難事に思えました。そのうち、福田康夫元総理の斡旋で、保管していた35年分の膨大な書類を国立公文書館に納めることになりました。およそ2000点。かなり希少なものと自負しています。

 私は福田赳夫の通訳として関わり始めたので、通訳をする際に書いたメモ、確認のために残した要人の発言録、各種の宣言や提言を取りまとめる際に作られた素案をはじめ、テーマを決めるまでの様々な話し合いにおけるバックグラウンドでの各人の発言など、つくった書類の内容は多岐にわたります。

 世界を動かした宣言は、どのような経緯で作られたのか。それは一体、参加者のどんな意図によって出されたものなのかがわかる貴重な資料となっております。

 テーマを設定するのは主要メンバーであり、中でも中心メンバーであった福田赳夫とヘルムート・シュミットの果たした役割は大きく、たまたま福田の通訳であった私はその場にあって、二人の言葉のやり取りを細大漏らさず耳にし、意思疎通をするお手伝いの機会に恵まれました。

 私はもともと世界銀行に勤めていたので、当時の世界銀行総裁であったロバート・マクナマラ(元米国防長官)などの例外を除き、政治経験者との接触はほとんどなく、日本国内にあっても政治の世界とは関わりのない分野におりました。それゆえに、福田やシュミットについても、最初は新聞で目にする以上の知識は持ち合わせていませんでした。つまり彼らに対し、一般の方が描く政治家像とほとんど同じ印象を持っていたわけです。

 ところが、通訳として福田の「言葉」を知り、福田の外国の知友と関わることになって、彼らがどれほど深い知識と高い見識を持ち、さらに、どれほど世界を良くしていこうとする道義感と意欲にあふれているかということに気づき、正直、驚きを禁じ得ませんでした。

 もし福田やシュミットが、少しでも我欲を持ってOBサミットを運営しようとしていたら、私は35年間も付き合う気にはならなかったでしょう。彼らとて人間ですから、長所だけでなく短所もあります。でも確かなことは、彼らは我欲を捨てて、政治家を引退したあとの残り少ない時間を世界の問題解決にあてていたということです。

 この会議をつくり、支えた中心人物である福田と盟友シュミットの身近にあって、その言葉のやり取りをサポートし続けた経験を後世のために残すには、舞台裏を含めたOBサミットについて、書籍として著すことが最も理にかなっているのではないか、という結論に至りました。