当然、雑誌のトップ記事となります。打ち合わせには、私が自ら(当時は副編集長)、事務所に行きました。小さな事務所の細長い通路の奥に社長の部屋があり、私たち編集部員はその部屋に直行しました。

 部屋には、なぜか社長1人しかいません。型通り挨拶して「広末さんは、どちらに?」と聞くと、先方が不思議そうに、「いや事務所にいましたよ。あなたたちも会ったはずだ」と。社長が「涼子」と呼びつけると、白いシャツにジーンズの女の子が入ってきました。

大人気アイドルに気づかず
通り過ぎてしまった思い出

 私は正直、驚きました。確かに彼女は事務所にいたのです。私は彼女の横をすり抜けて社長室に入ったのでした。ただ、てっきりアルバイトの女性が新聞綴じでもしているのか、と思っていました。

 何が驚いたかといえば、アイドルとしてのオーラをまったく感じさせない子だったからです。たとえば、吉永小百合さんをパーティーや葬儀などで何度も目にしましたが、数百メートル向こうにいてもピカピカ光るオーラを感じ、「誰だろう」とよく見ると彼女だったということが何度もありました。

 第一回東京国際映画祭のパーティーを今でも覚えています。海外の一流女優も参加していたし、当時『愛の水中花』のヒットで圧倒的な人気を誇っていた全盛期の松阪慶子さんが近くにいるのに、遠くに見える吉永さんの方がオーラの出方が違うのです。吉永さんは私よりちょうど10歳年上です。そのころでさえもう若いとはいえないのに、「スーパーアイドル」でした。

 吉永さんまで引き合いに出さなくても、人気というものは、人を人でないものに変える力があります。「人に見られることで人は美しくなり、オーラを発していく」というのが私のスター経験でした。これも新しいスター像なのか、などと考えながら、広末さんの早稲田受験のインタビューの打ち合わせが始まりました。これがまた、驚きでした。

 広末さん本人には、早稲田大学を受験する「心構え」のようなものがまったくありませんでした。いわゆる「一芸入学」が早稲田でもスタートしたばかりで、成績以外の材料が入学の資格に加味されることになったことへのアレルギーもありました。彼女の通っている高校が微妙な偏差値だったこともあり、早稲田入学に対しても「何年も一生懸命受験勉強をしてきた子が、かわいそうではないか」という議論が真剣に交わされていた時期だったのです。