「来るべきものが来た」
猿之助事件に戦慄した理由
私は元週刊文春編集長として、後輩たちにぜひ「市川猿之助の自殺騒動」について、まったく別の角度から取材をしてほしいと、連日考えています。
この2カ月ほど、毎日のように「猿之助」の自殺未遂、両親の自殺と彼の自殺幇助、そして歌舞伎界の行く末が報じられてきました。しかし、私にはこの報道の方向性が不思議でならないのです。
確かにこれは恐ろしい事件です。しかし、もともと自殺未遂事件が起こったのは、週刊誌『女性セブン』の告発記事がきっかけでした。私は事件の第一報を聞いたとき、「とうとう来るべきものが来た」と戦慄しました。週刊誌の報道で人が何人も自殺し、1人が自殺未遂をしたのです。
実際、もしこれが週刊文春、いわゆる「文春砲」の報道だったら、週刊誌報道の是非が問われることになっていたかもしれないと思います。「『文春砲』のやりすぎで、歌舞伎界の至宝を失った」――。メディアに踊るこんなタイトルを想像して、私は文春の先輩として怯えました。
私も文春の編集長時代、ある記事がきっかけで編集部に抗議の電話が殺到し、その対応で一週間に体重が5キロ以上も減った経験があります。が、なぜか今回、女性セブンの記事はどのメディアも攻撃しません。私はセブンの「幸運」に同業者として安心しました。しかし、セブンの編集長や編集部員が、猿之助一家を死の渕に追いやった記事について、喜んでいるとは思えません。たぶん、予想外の展開に驚いていると思います。
では、私は何を文春の後輩たちに取材してほしいのか。私が今回の報道について抱く疑問と共にお話します。
第一に思ったことは、女性セブンのニュースソースも、その背後にいたであろう人物も、編集部も、はじめは記事を掲載してこれほど大きな反響が出るとは予想していなかったであろうということです。歌舞伎界にだって同性愛者もいれば、古い世界だからパワハラもある。歌舞伎ファンならそのようなことは聞き流すだけで、「猿之助」の自殺がなかったら大きな騒ぎにはならなかったでしょう。ましてや歌舞伎ファン以外なら(その方が大多数ですが)、歌舞伎界のコップの中の嵐にすぎないと思った。その程度のニュースだったはずです。
しかし、それは大惨事という結果を生み、日本全体が好奇心の目を向ける事件に発展してしまいました。