2001年に経営学分野で最高峰の学術雑誌『アカデミー・オブ・マネジメントレビュー』上で発表されて以来、アントレプレナーシップや価値創造など幅広い領域に大きなインパクトを与えてきた「エフェクチュエーション」についての日本初の入門書、『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』が発売されました。
多くの人にとっては耳慣れない「エフェクチュエーション』という概念について知っていただくため、本連載では同書の一部を紹介していきます。第1回として、その「はじめに」を全文公開します。

「エフェクチュエーション」とは

『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』は、不確実性の高い状況における意思決定の一般理論として、近年注目されている「エフェクチュエーション」の入門書です。

 エフェクチュエーションは、サラス・サラスバシー教授(ヴァージニア大学ダーデンスクール)が、カーネギーメロン大学の博士課程在学中に、ノーベル経済学賞受賞者のハーバート・サイモン教授の指導のもと実施した研究から発見されました。彼女は、新しい市場や産業の創造という、極めて不確実性の高い問題に繰り返し対処してきた熟達した起業家を対象に意思決定実験を行い、彼らが共通して活用する思考様式を見い出したのです。

 2001年に、経営学分野で最高峰の学術雑誌『アカデミー・オブ・マネジメントレビュー』上で最初の論文が発表されて以来、エフェクチュエーションは、アントレプレナーシップや価値創造に関わる分野を中心に、幅広い領域に大きなインパクトを与えてきました。提唱者のサラスバシーは、その研究の卓越性と影響力を賞され、2022年に世界的なアントレプレナーシップ研究の賞と10万ユーロの賞金も授与されています

 エフェクチュエーションの大きな特徴は、従来の経営学が重視してきた「予測」ではなく、「コントロール」によって、不確実性に対処する思考様式であることです。そのため、たとえば、既存の顧客ニーズを前提にできない製品・サービスの事業化、最適なアプローチを定義することが困難な課題解決など、高い不確実性を伴うがゆえに、予測に基づく意思決定では合理的と見なされないような取り組みの推進にも、適用することができます。

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 日本では、2015年にサラスバシー教授の著書の翻訳『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』(碩学舎)が刊行され、とりわけここ数年でその認知度は急速に高まっています。その背景には、2020年以降のコロナ禍を含む社会・経済環境の大きな変化をきっかけに、私たちが直面する多くの問題が、従来の予測合理的なアプローチでは対処困難であるという認識が高まっている現状があると思います。そうした問題に対しても、エフェクチュエーションは、有効な行動指針を提供してくれます。

 新市場創造プロセスに関心を持つマーケティング研究者であった私自身は、2009年にエフェクチュエーションの論文と出会い、新たな市場形成を説明する、極めて妥当性の高い理論であると感じました。そして前掲の書籍の翻訳に関わった後、関西学院大学、京都大学、神戸大学をはじめとするビジネススクールや、さまざまな企業等の講演・セミナーなどの場で、エフェクチュエーションをお伝えする機会に恵まれてきました。

 サラスバシー教授の前掲書は学術書であるため、一般ビジネス書のような読みやすさはないものの、エフェクチュエーションの発見に至った実験の内容や理論的背景を含む詳細を理解できるため、関心のある方にはぜひ読んでいただきたいと考えています。一方で、学術書を読むことはハードルが高いと感じる人や、理論的な関心ではなく実践に活かす目的でエフェクチュエーションを知りたいと考える人も、少なからずいることも認識するようになりました。

 そうした経緯から、日本におけるエフェクチュエーションの入門書として企画されたのが、本書です。本書は、幅広い読み手に対して、「エフェクチュエーションとは何か」をできるだけわかりやすくお伝えすることを意図していますが、とりわけ次のような方々にとって、エフェクチュエーションを知る入口となれれば、大変うれしく思います。

「エフェクチュエーション」は誰にとって有効なのか

 第一に、スタートアップや既存企業で、新規事業開発や市場創造、イノベーション創出など、極めて高い不確実性を伴う問題に取り組んでいる方々です。エフェクチュエーションの思考様式は、予測に基づく合理的な意思決定では対処しきれない課題に直面した際に、新たな道筋を示してくれることと思います。また、そうした方々のなかには、これまでの試行錯誤の経験のなかで、理論は知らなくともすでにエフェクチュエーションを実践されている方もいると考えています。そういったエフェクチュエーションの実践者(エフェクチュエーター)にとっても、ご自身の実践を振り返り、体系的に整理する助けになることを期待しています。

 第二に、起業家やイノベーターのように、新たな価値を創造する人々への憧れはあっても、自分にはできないと感じて、なかなか行動に踏み出せずにいる方々です。なかには、過去の志あるチャレンジが頓挫してしまった経験を持つ方もいるかもしれません。しかし本書を通じて、新たな価値を創造することは、特別な人にしかできない仕事では決してなく、誰もがエフェクチュエーションの実践を通じて、現実をよりよく変えていける可能性があることを、実感いただく助けになればと考えています。

 第三に、エフェクチュエーションの学習・教育に何らかの関心を持つ方々です。本書の第1章から第8章までの内容は、私自身がエフェクチュエーションの教育に関わらせていただいた7年ほどの試行錯誤から作成した講義内容を、文章化したものでもあります。授業では、後述のようにアクティブ・ラーニングを重視しながら、サラスバシー教授の前掲書、海外で広く活用される教科書『Effectual Entrepreneurship』、エフェクチュエーションに関する学術論文の動向を踏まえて、そのエッセンスを講義でお伝えすることに努力してきました。いまだ改善の余地は多くありますが、エフェクチュエーションを自ら学びたい方、誰かに伝えたい方のいずれにも、参考にしていただける内容があれば幸いです。

「エフェクチュエーション」はどのように身に着けられるのか?

 エフェクチュエーションは、誰もが学習可能な意思決定の理論です。本書で初めてエフェクチュエーションを知ったという方も、その思考様式を身につけることは可能です。その際に、学習を促すポイントが少なくとも2つあると感じています。

 1つは、エフェクチュエーションが、実践を伴うことで初めて深く理解できる思考様式であることです。それは、自転車の乗り方や楽器の演奏の習得に似て、もし座学だけで概念的にのみ理解しようとすれば、自転車に跨ったり楽器に触ったりすることなく理論だけを学ぶようなもので、限定的な学習になってしまう恐れがあります。

 そのためビジネススクールの授業でも、一人ひとりの受講生がエフェクチュエーションの思考様式を実際に活用して、自らの不確実性を伴うチャレンジを前に進めてもらう、アクティブ・ラーニング形式を前提としています。また、エフェクチュエーションの適用領域はビジネス領域に留まらず、不確実性を伴うあらゆる創造プロセスでも活用できますので、本書を読まれた皆様も、趣味やプライベートを含む日々の実践のなかでエフェクチュエーションの思考様式を活用し、ぜひ理解を深めていただけたらと考えています。

 もう1つのポイントは、身近にエフェクチュエーションの実践者(エフェクチュエーター)の先達を見つけることです。先述の通り、エフェクチュエーションという言葉を知らずにその思考様式を実践している人々は、世の中に一定割合存在しています。そうしたエフェクチュエーターの具体的な実践を知ることは、エフェクチュエーションを構成する思考様式や、その全体プロセスについての理解を深めるうえで、大きな助けになると考えています。

 そのため授業では、講義でできるだけ多くの事例を取り上げるだけでなく、受講者自身のエフェクチュエーションの実践を共有してもらったり、実践者をゲスト講師として招いたり、といった工夫をしています。本書の第9章・第10章を執筆されている中村龍太さんも、私のビジネススクールの授業でゲスト講義をしていただいたエフェクチュエーターです。その経験から、多くの気づきを得ていただけることと思います。

 もともとが研究者である私自身は、エフェクチュエーションの研究・教育を始めた当初、理論を説明することはできても、構成する5つの思考様式とそれらの組み合わせの重要性について、本質的な理解には至っていませんでした。しかし、ビジネススクールやセミナーを受講・支援いただいた方々、日本でのエフェクチュエーションの普及を進めてくださった方々、産業界やさまざまな領域で新たな価値創造に取り組んでいるエフェクチュエーターの方々、そしてサラスバシー教授本人との対話を通じて、私自身の手持ちの手段(私は誰か・何を知っているか・誰を知っているか)は拡張され、想像もしていなかった新たな可能性が開かれるという経験を繰り返してきました。

 つまり、エフェクチュエーションの研究・教育実践を通じて、私自身がまさにエフェクチュエーションのプロセスを体験してきたと感じています。本書は、そうしたパートナーの方々のコミットメントによって紡ぎ出された、エフェクチュエーションのプロセスの成果の1つです。そして、本書の事例として取り上げることはできませんでしたが、これまでにエフェクチュエーションを学ばれた多くの方々も、現在おのおのの領域で、従来存在しなかった新たな価値を創る、素晴らしいエフェクチュエーションの実践を生み出されています。本書を手に取ってくださったあなた自身もまた、エフェクチュエーションという思考様式に基づき、自分にとっての「イノベーション」と呼べるような意味のある実践に向かって、一歩を歩み始められることを心から願っています。