努力の9割はムダである。最短距離でゴールする「勉強の戦略」が目からウロコだった写真はイメージです Photo:PIXTA

学生時代に努力してきた人ほど、勉強という言葉から“大変なもの”を想起する。そのため「もう勉強はこりごり」と感じている読者諸氏もいるだろう。しかし近年では社会人の「リスキリング(学び直し)」の重要性が叫ばれており、自身のキャリアと勉強が密接に関わりつつある。社会人向け英語パーソナルジムENGLISH COMPANYを設立し、多くの人々の学びをサポートしてきた岡健作氏は、大人の勉強は努力をしなくても問題ないと説く。その理由とは?本稿は、岡健作『勉強の戦略――9割の「努力」をやめ、真に必要な一点に集中する』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。

努力することは
勉強の絶対条件ではない

「がんばる」ことは、しんどいし、めんどくさいですよね。その一方で「ちりも積もれば山となる」「継続は力なり」など、がんばることを後押しするようなことわざを、皆さんも一度や二度耳にしたことがあると思います。しかし、実際はあらゆる場面で、みんな「ラク」をしています。たとえば、毎日の通勤の際、多くの人は電車や自転車、車を使っていますね。「毎日3時間かけて歩いて通勤します。努力は美しいので」なんて人はいません。

 みんな本質的には、「めんどくさい」「楽しくない」「好きじゃないことは、極力やりたくない」んです。面倒なことは効率化して、好きなことができる時間を増やしていく方がいい。移動手段として徒歩を選択することはできますが、多くの人は「好きなことができる時間を増やしたい」と考えているから電車に乗っているのです。もしそんな風に思えるのであれば、あなたにはすでに「勉強の戦略」を練るための準備が整っています。

 ぼくも、小さいころから、努力することが大の苦手でした。一方で、ぼくの弟は、とても努力ができるタイプの子でした。小学生のころから、弟は地域のソフトボールチームに所属して、雨が降ろうが雪が降ろうがお構いなしで、毎朝早くから起きて素振りをしていました。

 その後、中学では野球部に入り、遅くまで部活をやって、へとへとになって帰ってきて、そのうえ勉強もしっかりやる。こんな調子だから、弟はどんどん野球がうまくなりました。中学2年生にもなると、野球では花形選手が守るショートのレギュラーとして大活躍しました。体も超ムキムキで頭もいい、本当に立派です。兄としても誇らしかった。しかし、当の私はというと、とてもマネなんてできませんでした。どうやっても、ぼくは弟のようにはがんばれない。

 朝は眠くて起きられないし、毎日「めんどくさい」と思いながらぎりぎりに学校にいっていました。さらに、対照的なぼくら兄弟は、ことあるごとに比較されてきました。がんばれる弟は、みんなからとても褒められます。一方で、私はぜんぜん褒められず、どんどんひねくれていきました。そして「自分はダメなやつなんだ」と思うようにすらなりました。ついには、「そもそも野球ってなんなんだよ」「ボールなんて投げたら、危ないだろ」なんて、悔しまぎれに悪態をつくようになってしまっていたのです。