努力の呪いから解放してくれた
恩師の言葉

 しかし、そんな私が、急に自信をもてるようになりました。きっかけは、中高6年間、担任だった先生のこんな言葉でした。

「がんばらなくていいから、結果を出せ」

 後から聞いたところによると、「がんばったんです!」なんてアピールはいらないから、とにかく結果を出して欲しいという意図をどうしても伝えたくて、こんな風にしつこく言っていたらしいです。ぼくは、そこから6年間、この言葉に従って生活を送りました。

 先生は宿題もほぼ出さないし、テストも至って普通のものでした。ただ、テストの結果が出ると、それをもとに面談をするんです。「点数を上げなくちゃいけないけど、どうするの?」「いつまでにやるの?」と。そこで「がんばります!」なんて言うと怒られます。先生は「そんなこと聞いていない」と言わんばかりです。当時の私にとって、これは衝撃でした。

 と同時に、なんだか救われた気がしました。

「がんばらなきゃいけない」「弟のようにならなければいけない」という呪いから、急に解放された気分になったのです。

 このときに気づいたのが、「努力ができる」というのは、成功のために絶対に必要な条件ではない、ということです。もちろん「努力ができる人」ならば、有利です。しかし、「努力できない」のであれば、それはそれで仕方ない。他の方法で、「努力」の代替をしてもらえばいいのです。この代替手段こそが「ハック(効率を高めるためのコツ・ノウハウ)」の正体であり、ぼくが「戦略」と呼んでいるものです。

 人間には誰しも「向き・不向き」があります。「努力できない」ことは、単に、その人が努力に不向きな性質を持っているだけのことです。それは、持久走の得意・不得意とほとんど変わりません。

 たとえば、長距離走で1位の人とビリの人を比較した場合、ビリの人は持久走に不向きな性質を持っているわけです。そうだとしたら、ビリの人が長距離走で1位になったり完走したりすることを目指すよりも、持久走とは別のジャンルで、自分の得意分野を伸ばした方がよっぽど良いのではないでしょうか。これは勉強にだって、仕事にだって当てはまります。

 ぼくは恥ずかしながら「勉強」や「仕事」をがんばることが苦手です。逆に自分がそれらのことを苦手だと分かっているからこそ、「苦しい努力」をしないようにしているのです。努力の才能がなくても、努力するのと同じぐらい成果を出すことはできます。むしろ必要になってくるのは、「技術」です。