人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

墓掘り泥棒を雇い「死体」を手に入れる‥「ドリトル先生」のモデルになった狂気の外科医Photo: Adobe Stock

恐ろしい好奇心

 イギリスの外科医ジョン・ハンターは、「ドリトル先生シリーズ」の主人公ジョン・ドリトルのモデルになったともいわれる人物である。

 イギリスの児童文学作品「ドリトル先生シリーズ」の主人公ジョン・ドリトルは腕の良い医師で、博物学者でもあった。ドリトルの屋敷には広大な庭があり、そこにはたくさんの動物たちが暮らしていた。

夢のような屋敷

 まるで夢物語のようなドリトルの屋敷は、実は全くもってハンターの屋敷とそっくりである。ハンターは、田舎の邸宅に設けた広大な庭で、シマウマやヤギ、ライオン、ヒョウなど、数々の動物を飼っていたからだ。

 ハンターは幼い頃から生き物にとてつもなく強い関心を持ち、生涯に渡り、たくさんの標本をつくって自宅にコレクションを築いた。その数は一万四〇〇〇点ともいわれる。

 珍しい動物や植物、昆虫、人体の骨格ーー。今ロンドンにあるハンテリアン博物館では、かつてハンターがつくり上げたコレクションが一般に公開されている。

 ハンターは恐ろしいまでの好奇心を原動力に、おびただしい数の生物を解剖した。その構造を詳細に観察するうち、彼は興味深い事実に気づいた。

異端の発想

 それは、当時他の誰もが到達しえなかった異端な発想だった。 どうやら生物たちは互いに全く異なるのではなく、よく似た構造を備えているものが多い。

 そして、生物たちの体のしくみを比較すると、関係性の近い生物と、遠い生物がいるのだ。

 例えばクジラは魚のように海を泳ぐが、臓器を観察してみれば、魚とは程遠いことがわかる。クジラはむしろ、陸生動物の遠縁に当たるのではないか。

 いや、もしかすると生物たちには、実は共通の祖先が存在するのではないかーー。 ノアの大洪水が、今あるすべての動物たちを創造したとする教義が当然のごとく信じられた時代、ハンターは観察と実験によって「生物の進化」という真実に、あと一歩のところまで迫っていた。

 チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を著し、世界で初めて進化論を提唱したのは、ハンターの死から六十年以上後のことである。

 宗教的な教義より自らの目で見たものを信じ、生きとし生けるものに「科学」を持ち込んだハンター。中でも彼がもっとも強い興味を抱いたのは、やはり人体であった。

破天荒な死体解剖

 ハンターはチェゼルデンら著名な外科医に師事して技術を学び、一七六一年には戦争に従軍し、一七六八年からは聖ジョージ病院の外科医として勤務した。

 だが、彼の人体への好奇心は、ふつうの外科医のそれを大きく上回っていた。 彼は、人体解剖によって体のしくみを詳細に観察し、実験することによってのみ正確な知識が得られると信じていた。

 だが、動物や昆虫の解剖とは異なり、人体の解剖は容易ではない。好奇心を満たすために殺人を犯すわけにはいかないからだ。 ハンターは、人体解剖に並々ならぬ熱意を持ち、誰よりも多く死体を手に入れたいと渇望した。

 むろん、解剖学の知識に飢えていたのはハンターだけではない。当時、外科医や解剖学者たちは競って墓場に繰り出し、教材としての死体集めに勤しんでいた。

 聡明なハンターはこの仕事を効率化するため、プロの墓掘り泥棒を自費で雇い、死体を売買するしくみをつくり上げた。

 のちに死体売買ビジネスはイギリスやアメリカで社会問題になるのだが、結果的にハンターのもとには数々の死体が集まり、彼の解剖学の知見は凄まじいまでに高まった。