人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

意外に知らない…2つの大帝国を滅亡、多くの人類を殺戮した「感染症」とは?Photo: Adobe Stock

致死的な感染症

 天然痘ほど、人類の歴史に大きな影響を与えてきた感染症はないだろう。

 致死的な感染症は時に、大国の軍事力をもはるかに上回る力を持つが、天然痘はその好例だ。

 十五世紀の大航海時代、ヨーロッパの人たちは南北アメリカ大陸を「発見」し、先住民たちの国家を次々に滅ぼした。彼らは気づかないうちに、銃や馬よりはるかに強力な「武器」を持ち込んでいた。ウイルスである。

滅ぼされる帝国

 かつて南米に栄えたアステカ帝国やインカ帝国は、数百万人もの人口を有する強大な国家であった。だが十六世紀前半、スペイン人のフランシスコ・ピサロやエルナン・コルテスが率いるわずかな手勢によって征服されてしまう。

 なぜ、このようなことが起きたのか。その大きな要因になったのが、スペイン人らが持ち込んだ天然痘ウイルスだ(1)。

 外界と一度も接触したことのなかった先住民たちは、ウイルスに対して一切の抵抗力を持たなかった。天然痘によって人口が激減し、すでに戦闘力が失われていた帝国は、こうして安々と征服されてしまったのだ。

 天然痘は凄まじい勢いで新大陸に広まり、おびただしい数の人命を奪った。1ミリメートルの一万分の一という、あまりにも小さな物体が、世界の勢力図すら変えてしまうほどの破壊力を持っているのだ。いや、むしろ人体はこれほどまでに弱く脆い、というほうが正確かもしれない。

ワクチンを生んだ天然痘

 天然痘は、ポックスウイルス科に属する天然痘ウイルスが原因の感染症である。ポックス(pox)とはラテン語で斑点を意味し、天然痘患者の全身に現れる特徴的な発疹に由来する。

 天然痘は、医学史上初めてワクチンの生成に成功した感染症でもある。天然痘ワクチンを開発したのは、イギリスの医師エドワード・ジェンナーである。

 十八世紀のことだ。当時はもちろん、ウイルスの存在は知られていなかった。そもそも微生物が病気の原因になることすら知られていなかった時代だ。だが一つだけ、誰もが経験上よく知る事実があった。

牛から感染する病気

 天然痘にかかったのち運良く生き延びれば、それ以後は二度と天然痘にかからない。不思議な現象だった。

 身体が特定の病気に抵抗力を獲得するのだ。もし重い病気にかからずに抵抗力だけを獲得する方法があるなら、それに越したことはない。そこでジェンナーが注目したのは、牛痘という病気だった。

 牛から感染するこの病気では、天然痘に似た発疹が現れるものの、症状ははるかに軽い。だが、牛痘にかかった人はなぜか天然痘にかからなくなる。酪農地帯に生まれたジェンナーは、若い頃からこの事実を知っていた。

 ジェンナーがたどり着いたのは、牛痘に感染した人の膿を健常者に接種すれば、天然痘に対する抵抗力を獲得させることができるのではないか、という仮説だった。

「種痘を打たれたら牛になる」

 予防接種という概念がなかった当時、ジェンナーの発想は異端だった。二三人にこの手法(「種痘」と呼ばれた)を行い、一七九八年に研究結果を発表したジェンナーは、医学界で笑いものにされた。誰もその効果を信用しなかったからだ。

 「種痘を打たれたら牛になる」という根も葉もない噂がたち、イギリスの風刺作家は、のちに免疫学の教科書にも掲載される有名な風刺画を描いた。

 その風刺画では、中央に立ついかめしい表情の医師が、女性に無理やり注射を打とうとしている。恐怖に顔を歪める彼女の周囲には、鼻や腕から牛の顔が生えた人や、口の中から牛が出ている人が集まり、阿鼻叫喚の様相だ。ジェンナーの理論を揶揄したものである。

激減した天然痘の患者

 だが、種痘の効果が確かなものだとわかると、ジェンナーの成果を否定することはできなくなった。種痘は世界中に広まり、天然痘の患者は激減したのである。

【参考文献】
(1)『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』(加藤茂孝著、丸善出版、二〇一三)

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学からの抜粋です)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に17万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。
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