与野党ともに次の総選挙の準備を進めている昨今、19世紀イギリスの思想家J・S・ミルが提唱した選挙制度の精神が光を放ち始めた。『自由論』で他者や社会を害しない範囲での幸福追求を論じたミルは、『代議制統治論』で他者への権力行使につながる投票行動を重視し、当時としても新奇な提言をおこなっている。「1票の格差」など問題山積の日本の選挙の指針となるか。本稿は、関口正司『J・S・ミル 自由を探求した思想家』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
多数派による専制を避けるには
ヘア式投票制で死票を最小限に
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)は、非常に多様なテーマに関心を寄せたイギリス人の思想家だった。著作の範囲は、政治や行政や法律から、経済や社会、歴史や文学、道徳(倫理)や哲学などにまでおよんでいる。成熟期のミルの著作として『自由論』はよく知られているが、『代議制統治論』もまた代表的な1冊である。
『代議制統治論』は1861年4月に公刊された。全部で18章からなる大著で、選挙制度や議会、中央の行政、地方自治、インド統治など、当時のイギリスの政治体制全般にかかわる多様なテーマが取り上げられている。
代表者を選出する選挙人の資格という問題についてミルが行っている議論の中で、特に具体的な制度にかかわる提言を読むと、多くの読者が違和感を抱くかもしれない。
ミルによれば、代表民主政の正しい理解とは、国民の全員が等しく代表され、そのようにして選ばれた代表者たちによって国民全員が統治される、ということである。ところが、国民の中の多数者だけが代表されれば少数者が代表される機会が確保されなくてもよい、という誤った代表民主政のとらえ方が世の中では横行している。
この誤ったとらえ方では、(1)代表を実質的に選んでいる多数者や選ばれた代表者たちの知的レベルの低さ、(2)多数者による(代表をつうじた)排他的な階級利益(邪悪な利益)の追求という、2つの深刻な弊害は手つかずのまま放置されてしまう。
これらの弊害を防止するためには、あるいは可能な限り軽減するためには、代表民主政の正しい理解に即した制度、つまり平等の原則にもとづいた制度を導入する必要がある。
平等の原則からミルが強く推奨しているのは、ヘア式投票制である。これは、少数者の代表を応分に確保するために死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度である。
選挙人は、自分の代表としたい複数の候補者を、順位をつけて投票する。地元だけでなくどの地域の候補者に投票してもよい。1人の候補者だけに投票してもよい。投票してよい候補者数は技術的問題がなければ無制限でかまわない。
当選票数は、全国の選挙人総数を議員の総定数で割算して出す。自分の投票した候補者の第1位が、自分の票を加算しなくても当選票数に達していれば、第2位に指名した候補者に票がまわることになる。以下、議員の総定員が満たされるまでこのような割り振りが繰り返される。実際には、見かけほど複雑な仕組みではない。