選挙の平等の原則から必然的に帰結するのは、原則として成人の国民全員に選挙人の資格を与えることである。ミルはさらに、別の重要な道徳的問題もあるとして、次のように力説している。
……他の人々と同じように自分にも利害がある事柄の処理について、自分の意見を顧慮してもらうという通常の特権を与えないことは、より大きな害悪の防止のためでないならば、人格にかかわる不正である。その人が支払うことを強制され、戦うことを強制されるかもしれず、黙って従うように求められるのであれば、それが何のためであるかを示してもらう法的な資格がある。同意を求められ、その人の意見を価値以上にではないにせよ、価値相応に受け止めてもらう法的な資格がある。……人は誰でも、何の相談もなく自分の運命を左右する無制限の権力を他人からふるわれるときには、自分で気づいていようといまいと、人格を貶められているのである。
人格的尊厳という点で、イギリスのような高度な文明国の国民には、男女を問わず、選挙資格を与えるべきである。特に、女性への選挙資格の付与は、ミルが強く主張した点だった。
政策判断能力なき者や低額納税者への
平等な投票資格付与は選挙を歪める
ただし、平等な選挙資格と言っても無条件ではない。投票は公共の利益に判断を下す行為だから、判断を下すのに欠かせない識字能力が要件となる。また、公金の処理にかかわる判断でもあり、歳出と納税者の負担との関係を意識している必要があるから、タダ乗り的投票をさせないために、一定程度の納税をしていることも条件になる。
これらの要件は現代ではほとんど問題外とされているが、ミルがこのような制限を求める主張の根拠(判断能力や責任の自覚)については、あらためて正面から考えてみる必要があるように思える。
ところで、平等な選挙の確保は重要であるとはいえ、代表者議会の知的レベルの確保と階級利益追求の防止という2つの課題は依然として残されている。選挙民や議員の多数派に良識や中庸や自制を期待すれば十分だというのでは、ミルの言葉を借りれば「立憲的統治の哲学は無用の長物にすぎない」。権力を悪用させない国制上の仕組みが必要である。
そのためミルは、これら2つの課題への対応策として、選挙の平等という原則の一線を越える提言にまであえて踏み込んでいく。つまり、選挙人の中の高い知性を持った層に複数票を与える、という提言である。