超ミニマル・ライフとは、「どうでもいいことに注ぐ労力・お金・時間を最小化して、あなたの可能性を最大化する」ための合理的な人生戦略のこと。四角大輔さんの新刊『超ミニマル・ライフ』では、「Live Small, Dream Big──贅沢やムダを省いて超効率化して得る、時間・エネルギー・資金を人生の夢に投資する」ための全技法が書かれてあります。本書より、「人生の重要な決断で、大失敗してしまう人の共通点についてご紹介します。
みんなと仲良し&万能型を手放す
多くの人が「誰とでもうまくやれて、何でもそつなくできるマルチプレイヤー」になりたいと願う。
確かに、それは合理的な考え方かもしれない。過去の日本で評価されてきたのはそういうタイプだったのだから。
もし、あなたがそう考えているならば、こう自問自答してみてもらいたい。
「みんなに認められようとして、無理してない?」
「人に求められるから、そういう役割を演じていない?」
答えが「YES」ならば即やめよう。
なぜなら、人生においてブレイクスルーをもたらすのはいつも、熱狂や暴走といった非合理的な行動だからだ。
昨今、大きな成果を出す人の多くが何か一つに秀でた「一点突破型」ということに気付かれただろうか?
そういう人たちは、誰もできなかった業務改善を成し遂げたり、際立って大きな売り上げをつくったり、誰かの人生を変えるような作品を創ってしまう。
「マルチプレイヤー」はじめ、「忠実で命令に従う人」「空気を読む従順な人」が求められた前世紀では、「一点突破型」は生きづらかった上に、あまり評価されなかった。だが、今世紀に入って20年以上が経ち、日本社会もいよいよ変わってきた。
欧米ではずっと以前から、「一点突破型」が求められていたことはご存じのとおり。歴史を見ても、社会を変えるようなイノベーションの多くは、世間から「クレイジーだ」と評される人たちによって生み出されている。
たった一人のための一点突破
例えば、革新的な製品をリリースし続けてきたApple社は「市場調査」を一切やらないことで有名だ。
「大多数のユーザーが、なんとなく求めてるような製品なんて誰もいらない。そもそも俺はそんなものつくりたくない」
そんな持論を貫いた元CEOの故スティーブ・ジョブズは最初から最後までずっと変人扱いされていた。そんな彼は、生涯において「コモディティ(特徴がない、ただの大量生産プロダクト)」を、一つも世に出さなかった。
同社の売り上げの大部分を占める『iPhone』は、いまや誰もが持っているスマホの原型。だが『iPhone』発表時には、評論家やメディアからは「コンピューターの会社が電話機をつくるなんてお笑い草だ」と酷評され、世界中が「なぜ?」と首をかしげた。
しかし、その小さなデバイスが人類のライフスタイルを大きく変容させた。この世界的ヒットによってApple社は、時価総額世界一まで登り詰めることになる。
もう一人の尊敬する起業家がいる。サーファーのニック・ウッドマンである。
「大好きなサーフィンをしながら撮影できる、小さくて頑丈な防水カメラがほしい」と、自らつくったのが『GoPro』だ。
筆者も持っていたが──当初は、デジカメなのにモニター画面は付いておらず不格好で使いにくい。「非常識すぎる」「誰も買わない」と嘲笑され、大衆から見向きもされなかったが一部のコアユーザーはこのプロダクトを心から愛した(筆者もその一人だ)。
そして苦労の末に上場を果たし、誰もが知るグローバルブランドとなった。そして今や、『GoPro』を原型とするウェアラブルカメラが各社から出ていて巨大マーケットを形成している。
二人に共通しているのは「みんなのためじゃなく、自分というたった一人のために作品創りをした」という点にある。
想像してみてほしい。
もし、彼らのような異端のイノベーターたちが「誰からも嫌われたくない」「反対されたらやめる」という性質だったり──「前例や多数決こそが正解」「自分の信念よりみんなの意見を優先」という考え方の持ち主だったら、どうなったかと。
文明を支える素晴らしき製品や作品、サービスは存在しておらず──そもそも、人類は存在さえしていなかっただろう。
なぜなら太古より、祖先が生き残れるかどうかの瀬戸際で、奇跡のブレイクスルーを引き起こしてきたのは、常に突然変異のような個体種だったのだから。
多数決と“みんなの意見”は無責任の塊
筆者にも興味深い経験がいくつかある。
レコード会社プロデューサー時代、アーティストの新曲を複数プレゼンしてスタッフに聴いてもらい、多数決で選んだ曲でヒットしたものは、なんとゼロ。
逆に、「経理の○○さんが聴いた瞬間泣いた」や「宣伝担当の○○さんがこの曲を聴きまくってる」というような、「一人の心に深く届く曲」がいつも無名のアーティストをブレイクスルーに導いた。
もちろん、アーティストや筆者自身が「その一人」だったことは何度もある。「その一人」が誰にせよ、「その一人」の感覚と心中する覚悟で、自分が全責任を取ると宣言した上で「この曲でいく」と決定していた。
ミュージックビデオや広告クリエイティブも同じで、「上司やチームメンバーみんなの、なんとなくの同意」を経て世に出したものほど反応が薄いまま終わっていた。
「みんなそうじゃないと言ってる」
「リサーチしたら反対意見が多かった」
これは、筆者が過去に何十回と言われてきた言葉だ。
そう言われるたび「みんなとは誰と誰ですか? 具体的な名前を教えてください」「何十人くらいにリサーチしましたか?」と聞き返していた。ほとんどの場合、口ごもってまともな返答を得られない。
それでも食い下がる人がいた場合「もしそれが、100人以上の意見であったなら検討させていただきます」と、満面の笑みで返答していた。
アシスタントプロデューサーとして奔走していた1990年代の終わり頃、音楽業界で市場調査が流行ったことがあった。上司命令で、高いお金を払ってリサーチ会社にお願いしたところ、サンプル数は数十人程度で、多くても数百人。
残念ながら、そこにはブレイクスルーのための解は一切なく、得られたのは「そこそこ売れるかもしれない音楽制作(商品開発)のヒント」くらいだった。
最も大切にすべきは非効率で非生産的なこと
グローバル企業の事例から小さな体験談まで書き連ねたが、これらは決して特殊なケースではなく、世の中にはこういった例がいくらでも存在する。あなたの身近にも、いくつもあるはず。
それでも、99%の人は──「信念」や「情熱」ではなく──「責任を負わなくていいみんなの意見」「根拠のない常識や一般論」「データや数字」で、人生の重要な決断を下してしまう。
こういった事例や自身の経験から、「忖度(そんたく)や多数決から感動が生まれることはない」という法則と、「誰もが口にする、一見正しそうなアドバイスは絶対ではない」という哲学を体得することができた。
「そんなこと言ったって、場の雰囲気が乱れたり、周りとギクシャクするのは怖いし、仲間外れにされたくない」って?
気持ちはわかる。そうやって生きることは間違いではないだろう。だが、現状を打破して人生にブレイクスルーを起こしたいならば、そんな狭い人間関係に縛られてる場合じゃない。人生は期限付きで一回きりなのだから。
偉大なる先人たち(と孤独な変わり者)の存在が少しでもあなたの勇気につながれば幸いだ。
(本記事は、『超ミニマル・ライフ』より、一部を抜粋・編集したものです)
【参考文献】
※1 池谷裕二『脳には妙なクセがある』扶桑社(2012)