それでも「いい子」を
演じようとする悲劇
見捨てられ、精神的に追放されて打ちのめされると、虐待をそれと認識できなくなります。
それどころか、あなたを精神的に置き去りにした家族に必死にしがみつきたくなるでしょう。
家族が愛してくれさえすれば、平穏な人生を送れると勘違いするのです。
ですが残念ながら、あなたの家族は、認められようと必死にしがみついてくるあなたに、下っぱとしての利用価値を見出し、ほくそ笑んでいることでしょう。
家族を求めるということは、無意識に彼らの支配を受け入れることです。
なぜなら、大人になってからも、何度も家族との関係を修復するために、彼らにとっての「いい子」を精いっぱい演じなければならないからです。
あなたの家族は完璧からはほど遠いにもかかわらず、あなたに完璧であることを求めるのですから、皮肉でしかありません。
捨てられると、心をずたずたに切り裂かれ、こんな思いはもう他の誰にもさせたくないと感じるでしょう。
そのせいで虐待サバイバーの多くは、家族と離れることで、彼らに同じような捨てられる痛みを感じてほしくないと考えてしまい、絶縁という重要な決断を踏みとどまってしまうのです。
ですが、肝に銘じてください。
あなたが毎日受けている虐待や、見捨てる行為に対して境界線を引くのは、ただ単に怒りにまかせて、衝動的に誰かとの関係を切るのとは全く違うのです。
絶縁=家族を捨てる、なのか?
毒家族と縁を切るとしても、それは彼らを捨てるということではありません。
あなたが彼らにこれ以上、捨てられないように、接触不可のルールを作るのです。
毒家族は精神的に人を捨てる行為に精通しています。
自分たちの振る舞いがどういう影響を与えるか決して省みず、惨い仕打ちをしているという自覚も罪悪感もありません。
彼らにとっては自分たちの行動こそが正義であり、その結果相手を傷つけたとしても気にならないのです。
単純に、思いやりの心がないのです。
真実ですら、どうでもいい、と思っています。
相手を傷つけている感覚が麻痺しているせいで、彼らは自分たちをまっとうな人格者だと思い込んでいます。
虐待と支配の事実をかたくなに否定する家族は、被害を一身に受けるあなたからしたら、ひどく冷淡に見えるでしょう。
皮肉なことに、虐待者から離れたあとも、捨てられたような気持ちになることがあるかもしれません。
なぜなら、家族が、あなたと関係を修復するよりも、自分たちの正しさを優先する、という事実を突きつけられて、何度でも捨てられた気分を味わうからです。
虐待サバイバーたちは、孤児のような気持ちで生きています。
多くの場合、捨てられた痛みが完全に癒えることはありません。
表面の傷口は塞がっても、その下では傷口がずっと疼き続けます。
誰かの家族に会ったりして、家族の存在を思い出すような機会があると特にそうです。
知り合いの健全な両親が、子供のために助力を惜しまない様子を見たとき、あるいは、知り合いが兄弟やいとこ、その他の親戚と仲がよく、美しい家族愛を目にしたとき、傷が開くことがあります。
そういった光景を目の当たりにすると、あなたがかつて手にできなかったものを思い出してしまうのです。
ですが、希望を失う必要はありません。
傷を効果的に癒やすには、次のことを試してみてください。