お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失ったついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【71歳ひとり暮らし】どん底から這い上がったはずなのに…末期寸前のがんが発覚写真:川瀬典子

どん底から
自力で這い上がる

父親の会社の倒産で住むところも収入源も失った私ですが、幸いなことに勤めていた整体院で経験を積むことができ、多くのお客様に恵まれました。

数年たったころ、円満に退職して独立しました。仕事は一貫して上り調子でした。

縁あって東京にもごひいきにしてくださるクライアントが増え、出張施術メインの生活をしていたこともありますが、やがて本拠地を構えたくなって新大阪の駅前に大きなスタジオを構え、インストラクターを何人も育てるようになります。

ひたすら仕事にまい進
自分でお金を稼げるように

仕事量に比例するようにお金がついてきたので、かつて住んでいたような高級マンションに住む余裕もでき、週に何日もランチやディナーの約束が入る日が続きました。

こと仕事に関していえば、着実に拡大路線を歩んでいたのです。

クライアントやインストラクター志望の生徒さんたちが喜んでくれればそれでいいという気持ちで、ひたすら仕事にまい進しました。

物事がうまく
進んでいる時ほど……

しかし「好事魔多し」というのは本当ですね。2012年の秋ごろから、とても疲れやすくなってきたのです。

元気だけがとりえで、前日の疲れなどどこへやら、毎朝、「さあ、今日はどんな1日になるだろう!」と、起きて活動を始めるのを楽しみにしていた私が、どういうわけか「いつまでもこうしてベッドに入っていたい」と思う日が続くようになりました。

ちょうど還暦の60(数え年61)歳を越えたということもあり、「年齢のこともあるし、たまった疲れが出る時期なのだろう」と思っていましたが、年が明けても一向に体調が優れません。

手術不可能な
末期寸前のがんに

さすがに自分でもおかしいと思って病院で検査を受けたところ、「子宮頸がん」を発病していることがわかったのです。

しかも、がんのグレードは「ⅢC」。末期の一歩手前で、すでにがん細胞が骨盤内に散らばっており、手術は不可能な状態にまで進行していました。

※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。