お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失ったついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

子ども3人を連れて離婚…まだどん底ではなかった写真:川瀬典子

周りに合わせることの苦痛

私は自分を責めた時期がありました。「普通の主婦になれない私が悪い」と思い悩み、結婚相手のいう「上品な奥様風の服」を着たこともあります。

でも少しも楽しくないばかりか、居心地の悪さばかりを感じるのです。いかにも借り物の服を着ている感じ。

そのことに気づいてからは、もう夫とは一緒にはいられないのだと実感するようになりました。

自分を責め続けて
夜、眠れなくなる

「もう無理かも」と感じ始めた1年後、私は結婚生活が確実に破綻に向かっていることを強く感じるようになり、夜も満足に眠れなくなりました。

「もう離婚するしかない」「でもこれは私のわがままでしかないのでは?」という心の葛藤を繰り返すようになったのです。

3人の子どもたちを父親から離すことには罪悪感を覚えずにはいられません。しかし、私はどうしても、自分らしく生きることを諦めることができなかったのです。

そうして17年間の結婚生活に終止符を打つことになりました。

子ども3人を連れて離婚
そこに危機が訪れる

離婚をすることになって、子どもたち3人を連れて実家に戻った夜、私は久しぶりに熟睡することができました。

とはいえ、夜も眠れないほど悩んだ末の離婚を、「人生最大の挫折」と思い込んでいた私は、まだとてつもない“甘ちゃん”でした。

離婚後に住んだのは、会社を経営する父が所有していた150㎡のマンションです。

父が経営する会社の役員に名を連ねていたので、役員報酬が支払われ、それを生活費に充てていました。なんて恵まれていたのだろうかと思います。

自立するために
手に職をつける

とはいえ、妹や弟の手前、実家に戻ってきた姉がいつまでも親がかりでいるのはよろしくありません。

そこで以前から興味のあった整体の仕事をしたいと思い、見習いのアルバイトとして働き始めました。

この経験がのちに私の人生を支える屋台骨となることを、この時点ではまだ知る由よしもありません。

※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。