プロのライター同士が、同じテーマでエッセイを書いたら――。
ベストセラー『読みたいことを、書けばいい。』の著者で、出版社「ひろのぶと株式会社」の代表を務める田中泰延氏が、古賀史健氏と「書くこと」について対談をおこなった。古賀氏は、『嫌われる勇気』の共著者であり、最新刊『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)が大きな話題を呼ぶ業界屈指のライターだ。旧知の仲でもある二人が「自分にしか書けない文章」の正体を明らかにしていく本連載。
最終回は、事前課題として執筆いただいたエッセイの読み合わせからスタートし、「自分にしか書けない文章」の根幹を解き明かしていく。(司会/谷綾子、構成/水沢環、編集・撮影/今野良介)

人に文章を教えるベストセラーライター2人に「おもしろいエッセイ書いてください」と無茶振りしてみた

なぜ、同じテーマでも全く違う文章になるのか

――ここまで3回、「書くこと」について語り合っていただきました。

今回は、お二人に同じお題を事前に共有し、文字数を500字程度に設定して、エッセイを執筆していただきました。

テーマは「テレビのリモコン」です。

人に文章を教えるベストセラーライター2人に「おもしろいエッセイ書いてください」と無茶振りしてみたなんの変哲もない、テレビのリモコン。

――まずは、お互いのエッセイを読んでいただきましょう。

テレビのリモコン 田中泰延

テレビとリモコン。この2つの単語の両方に「遠く離れて」という言葉が入っている。
「テレ」は、元はギリシャ語の“tele“で、「遠い」という意味だ。それが英語に取り込まれ、遠くの人と話せる機械はテレ・フォンと呼ばれ、遠くの映像を見る装置はテレ・ビジョンという名称になった。
リモコンはいうまでもなく「リモート・コントローラー」で、これもラテン語の「離れた」を表す“remotus“が語源である。
どちらの言葉も、対象との距離を表す。つまり、テレビのリモコンとは、遠くの誰かや出来事を見るために、さらにその画面からも離れて操作するものである。疎外を二乗するデバイスといってもいい。
近年、感染症の流行によって、テレ・ワーク、リモート・ワークという言葉が一般的になった。どちらも誰とも会うことなく離れて仕事を遂行する仕組みだ。
年々、人間同士の関係はテレになり、リモートになっていく。そこに人類の新たなコミュニケーションの可能性が広がったことは否めない。だが、英語のリモートには「態度がよそよそしい」といった意味合いもある。人間関係とはスイッチを切れば関わりを断てるような簡単なものではなく、人の笑顔は画面の中だけにあるものではない。

会って、顔を合わせて話すこと。いまこそテレくさがらずに、意識して積み重ねたいと私は思うのだ。
テレビのリモコン 古賀史健

博多弁に、「しゃあしい」ということばがある。標準語の「うるさい」と「面倒くさい」がかけ合わされた、多義的な方言だ。用法を示そう。たとえば孫からスマートフォンの操作を教わる博多の老人が、その不可解なルール、煩わしい手順、さらには調子づいた孫による「おじいちゃん、これくらい憶えてよー」なんてダメ出しに憤慨し、スマホを叩きつける。「しゃあしい!」と叫ぶ。孫の嘲笑が、耳にうるさい。加えて、「設定」を押して、「画面表示と明るさ」を押して、その中にある「テキストサイズを変更」を押して、なんて文脈を追うがごとき階層の概念が、面倒くさい。そんなもん、「文字サイズ拡大」ボタンをつくりやがれ、である。しかしながらスマホには数百数千の機能がおそらくあり、その全機能にボタンを割り振ったならば、芥子粒大のボタンがひしめき合う、爪楊枝でも押せないテレビのリモコンみたいな機器ができあがるだけだろう。人が使えるボタンには、数に限りがある。人が使えることばにも、数に限りがある。それゆえ長く使われることばは―― 「しゃあしい」がそうであるように――多義性を帯びていく。テレビのリモコン的な一義の足し算では、いずれ破綻を迎えるのだ。

田中泰延(以下、田中) すごいね、スタンスの違いが(笑)。

古賀史健(以下、古賀) なるほどなぁ。これはいつもの三枚目の泰延さんじゃなくて、二枚目路線の泰延さんですね(笑)。

人に文章を教えるベストセラーライター2人に「おもしろいエッセイ書いてください」と無茶振りしてみた古賀史健(こが・ふみたけ)
ライター。1973年福岡県生まれ。1998年、出版社勤務を経て独立。著書に『嫌われる勇気』(共著・岸見一郎)、『取材・執筆・推敲』、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(共著・糸井重里)などがある。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。2015年、ライターズ・カンパニーの株式会社バトンズを設立。最新刊『さみしい夜にはペンを持て』
人に文章を教えるベストセラーライター2人に「おもしろいエッセイ書いてください」と無茶振りしてみた田中泰延(たなか・ひろのぶ)
1969年大阪生まれ。早稲田大学第二文学部卒。株式会社 電通のコピーライターとして24年間勤務し退職。著書に『読みたいことを、書けばいい。』『会って、話すこと。』がある。2020年、「印税2割」「本を書く人が生活できる社会を」を掲げる出版社「ひろのぶと株式会社」を設立、代表取締役社長に就任。

――最初にテーマを受け取ったあと、どのような発想でエッセイを書いていったのか。そのプロセスを教えていただけますか?

田中 じゃあわたしから。まず何を意識したかと言ったら、『読みたいことを、書けばいい。』でうるさいぐらい書いている「調べて書く」ということです。

人に文章を教えるベストセラーライター2人に「おもしろいエッセイ書いてください」と無茶振りしてみた『読みたいことを、書けばいい。』田中泰延

田中 腕組みして「テレビのリモコン、テレビのリモコン……」って考えて、「まあちょっと調べてみるか」と大辞泉と広辞苑、大辞林、語源辞典なんかを開いてみた。たった500字くらいの文章でも、出典を書けって言われたら6つくらいはあるんですよ。次に、なんかもっともらしい社会提言を入れる。天声人語みたいに。それで最後はダジャレみたいなオチっぽいものも入れて、『会って、話すこと。』という自分の本の宣伝もするという(笑)。ティピカル(典型的)なことのてんこ盛りになりましたが、いつもこんなスタイルを組み合わせて書いています。

古賀 リモコンを語っていても、「モノ」ではなく「言葉」に注目しているのが泰延さんらしいですよね。

田中 あぁ、たしかにリモコンそのものは一切見てないですね。

古賀 「テレビのリモコン」というお題でエッセイを書くとなったら、ふつうは「私がテレビのリモコンを使うのはいつもソファーに座っているときで」とか「これがチャンネルをガチャガチャと回す時代はたいへんだっただろうなと思う」とか、そういう話になりがちなんですよ。でも、それだと読者にとっての「発見」がない。

――発見は大事ですか。

人に文章を教えるベストセラーライター2人に「おもしろいエッセイ書いてください」と無茶振りしてみた

古賀 僕はnoteでも日記でも、絶対に何か一つは「発見」を入れたいと思っているんです。読者が「知らなかった」「なるほど!」「たしかに」と思えることが、読んで気持ちのいい文章の条件だと思っているからです。その「発見」は、書いているときの自分にとっての発見でもあるんですよね。書いてみてはじめてわかった、調べてみてはじめてわかった、という自分自身の驚きや喜びがなければ、文章にもおもしろみがなくなってしまうんです。その点で、泰延さんのエッセイは、「リモート」という言葉の意味や語源がていねいに調べてあって、読者としての発見がありますよね。

――たしかに、「テレビ」と「リモート」に共通点があることは読んで初めて気づきました。

古賀 僕が個人的にいちばんおもしろいなと思ったのは、後半にある「英語のリモートには『態度がよそよそしい』といった意味合いもある」という一文です。これが入ることで、このエッセイがぎゅっと締まっている。

田中 ここだけが、わたし独自の発見です。イギリスに滞在していたときに、実際に現地の人が言っていたんですよ。向こうは発音が「リモート」じゃなくて「リモー」なんですけど、“He is remote.”「あいつはリモーだよ」って言うんです。「人と距離をおきたがるやつ」を指している表現でした。

――なるほど。古賀さんはどのように執筆をスタートされたんでしょうか?

古賀 僕がいつも考えるのは、「これは何に似てるのか、似てないのか」です。

田中 ああー。