テレビ・ネットで「日本のウォーレン・バフェット」と話題! 1936年(昭和11年)、兵庫県の貧しい農家に4人兄弟の末っ子として生まれた。高校を出してもらってから、ペットショップに就職。そこでお客だった証券会社の役員と株の話をするようになった。そして19歳のとき、4つの銘柄を買ったことが株式投資の始まりだった。あれから68年、バブル崩壊では10億円あった資産が2億円にまで減った。しかし今、資産は18億円まで増え、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。隠しごとなしに日常生活から投資法まで全部書いた話題の書『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。
半歩先んじて
ブームに前乗りする才覚
私が雀荘を開いたのは、麻雀が一大ブームを起こす直前でした。
麻雀は大正時代に第1次ブームが来たものの、やはり戦争の影響でいったん沈静化。その後、1969年に阿佐田哲也という小説家が『麻雀放浪記』の連載を始めたことで、第2次麻雀ブームが到来しました。
当時人気のあった深夜のテレビ番組「11PM」でも取り上げられ、麻雀の専門雑誌も創刊されました。決して「ブームに乗っかろう」と思って始めたわけではないのですが、結果的に大成功を収めました。
麻雀ブームの栄枯盛衰
いまは全国的に雀荘の数が激減しています。
雀荘では知人かそうでないかにかかわらず4人で卓を囲むわけですが、コロナの影響を受けて「知らない人と対面で卓を囲む」こと自体の需要も減りました。
昔は煙草を吸いながら麻雀をしていたものですが、喫煙の規制も厳しくなりましたしね。私が経営していた雀荘があった場所も、いまは飲食店や接骨院になっています。
「きっとなんとかなるだろう」
株に専念し始めたのも、バブルの直前です。資産は10億円から2億円に大きく減らしましたが、バブルが来る前から始めていたからこそ、バブルが崩壊しても2億円の資産が残っていたともいえます。
ペットショップも雀荘も、始めるときもやめるときも、とくに悩むことはありませんでした。女房に相談もしていません。
貧乏暮らしが苦でもないですし、たとえ何かが起こったとしても、きっとなんとかなるだろうという思いがありました。
強みは無駄な時間を
費やさない決断力
「もうやらない」と思ったらスパッとやめる、「これがやりたい」と思ったらすぐに始める。このやり方が私の性分には合っているのだと思います。
女房もよく我慢してついてきてくれたものだと思います。普段、面と向かってはとても言えませんが、感謝しています。
※本稿は、『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。