年収が上がらない、モチベーションが上がらない、仕事と家庭の両立がうまくいかない ── そんな悩める人たちに「圧倒的に面白い」「共感と刺激の連続」「仕組み化がすごい」と話題なのが、森武司著『スタートアップ芸人 ── お笑い芸人からニートになった僕が「仲間力」で年商146億円の会社をつくった話』だ。“元芸人社長”であるFIDIA(フィディア)の森社長は、吉本のお笑い芸人引退後、4年間の引きこもりニート、家電販売員を経て仲間と起業。現在年商146億円、Financial Times「アジア太平洋地域急成長企業ランキング 未上場日本一」、「ベストベンチャー100」受賞、経済産業省選定「地域未来牽引企業」、11事業すべて黒字化、新卒500人採用、創業以来18年連続増収増益を果たした。また、素人ながら化粧品開発に取り組み、あの資生堂を抜き、アマゾン年間売上1位となった注目の経営者でもある。まさに人生を大逆転させた元芸人社長だが、その秘密はデビュー作で一挙公開した「仲間力アップマル秘マニュアル」の6大奥義にあるという。本連載では初の著書『スタートアップ芸人』の一部を抜粋・編集しながら、「仲間力(=仲間をつくる力)」アップによる人生大逆転の法則を見ていきたい。

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引きこもり時代は
シンプルに「暇」だった

 僕はお笑い芸人引退後、心が折れ、4年間、引きこもりニートになった。

 ボサボサの髪は胸まで伸びていた。

 自分の姿を鏡で見るたび、「俺は何をやっているんだ」と思ったが、正直、何かする気力もなかった。

 引きこもり時代はシンプルに暇だった。

 親が取っている新聞を毎日全ページ読んだ。折込チラシも見た。

 暇な時間は寝ていたが、寝すぎて頭が痛くなることもあった。

 夕刊が届いたらまた読んだ。そのうちに政治・経済に詳しくなった。

ニート時代の2つの収入源とは?

 新聞以外ではマンガを読んだ。僕はマンガを集めるのが趣味で、自宅に約2万冊あった。

 特に手塚治虫、藤子不二雄、梶原一騎の初版本を集め、芸人時代の終わり頃、軽自動車で全国を回り、プレミア本を収集していた。

 全巻そろえようにも、ある巻だけ手に入らないことがあった。

 すると僕は抜けている巻のメモを持ちながら本屋さんを訪ね歩いた。

 気がつくと、プレミア本を山ほど所有していた。

 お宝コミックの頂点には、常に手塚治虫と藤子不二雄が君臨していた。

 引きこもり時代は、これをちょこちょこ売って月に3万円ほど稼いだ。

 もう一つの収入源はファミコンソフトだった。

 当時は、発売日に激安で売られることがあった。

 定価5000円のソフトが「目玉商品」として980円で売られていたのだ。折込チラシで情報を見つけると、朝5時頃から店頭に並んで購入し、転売して4000円の差額を手にした。

 引きこもりニートといっても遊びに誘ってくれる仲間はいた。

 僕はニートになる前はお笑い芸人だった。

 その頃は、芸人同士がライバル意識をむき出しにしていて、あまり仲よくなかった。

 NSC18期も基本そうだった。

 同期には現在も芸人として活躍しているファミリーレストラン、映画監督になったムラヤマ・J・サーシ(映画『ガチャコン!』『ガチャコン!2』等)、阪神タイガース+お笑いYouTuberのマナブ18号らがいた。

たむけんさんに
18期のエースといわれたコンビ

 ただ、僕のまわりはちょっと変わっていた。

 高校の同級生4人がNSC同期にいたのである。

 高校の文化祭のお笑いコンテストに出場して1、2、3位になったコンビが仲よくなり、そのうちの4人が「俺らだったらいける!」とアホなノリでNSCのオーディションを受けた。

 当時のNSCオーディションは年2回。文化祭が終わってすぐに16期のオーディションを受けた。受かったら高校をやめてNSCに行こうと考えた。

 だが、2人は受かったが2人は落ちた。

 「4人一緒に」という想いが強かった僕らはオーディションを受け続け、次の17期もダメだったが、1996年の後期に18期生として全員合格した。

 文化祭の1位は僕と市川真也、2位が網野光明のコンビ、3位が西俊彦のコンビだった。

 吉本では、僕は新たなコンビを組み、市川は網野とコンビを組み、西はピン芸人だった。

 彼らが仲間として僕を支え続けてくれた。

 僕は「プルジェリ」というコンビ名で活動していた。

 同期の中では事務所から期待され、ラジオ番組には同期最速で出演した。

 今でもたむらけんじさん(以下たむけんさん)は「18期で一番のエースはおまえらや」と言ってくれる。

 だが、そんな日々は長くは続かなかった。

(本稿は『スタートアップ芸人 ── お笑い芸人からニートになった僕が「仲間力」で年商146億円の会社をつくった話』の一部を抜粋・編集したものです)