ブランドセーフティーの観点からは、編集と広告がコミュニケーションを増やすことで、こうした事態を防げると言えるかも知れません。少なくとも、SNSなどのプラットフォーム上では、そのコンテンツが編集によるものか、広告によるものかの区別なく、新聞社のコンテンツとして評価されますから、こういうことが起きると誰も得をしないので。
徳力 なるほど。編集と広告の分離は、倫理的なポリシーとしては当然あるべき姿勢だと思いますが、分離を意識するあまり、自縄自縛(じじょうじばく)になっている面はあるのかもしれません。
朽木 私が朝日新聞社に入社してまず何をしたのかと言うと、とにかく現場の人たちと飲みに行きました。「どんな課題がありますか」と聞いて、「こういう課題があるんだったら、こんな取り組みできませんか」と。
徳力 編集と広告の分離は、昔からあるテーマです。朽木さんの活動は、社内的には問題ないわけですよね。
朽木 きちんと線引きをすることが大事だと思います。今回の取り組みにあたっても社内で議論を重ねて、今の形に落ち着きました。もちろん、編集側は徹底的にビジネス的な視点から距離を置くべきと主張する人もいるかもしれません。
一方で、デジタル時代のメディア運営は前述したように少数精鋭が勝ち筋で、大規模なメディアの運営は厳しさを増しています。それでも生き残るためには、編集側にも新聞社の価値を最大化するポジションの人間が必要だと私は思います。
徳力 そのあたりは、媒体社ごとに基準が違いそうですね。
朽木 出版社さんなどは企業とのコラボレーションに積極的で、共同で雑誌を出したり、イベントを開催したりしていますよね。
徳力 グレーゾーンが広いんですね。
「書く場所」を残し続ける
朽木 「新聞社」「出版社」といった成り立ちも、すべてネット上に展開されるようになった今、やがてはその区別が読者側には意味をなくしていくと思います。もちろん受託をずっとやり続けることが目標ではなく、いろいろと新しい運営方法を試すことが目標なので、今は来年以降に取り組むいろんなことの準備をしている状態ですね。
徳力 それは、朽木さんが外部から来た人材だからできることだと思います。従来の社内のルールで育ってきた人からすると、そういう縦割りの境界線をまたぐのがなかなか難しいですよね。だからこそ、朽木さんの存在価値がすごく高いとも言えそうです。
朽木 私はあくまでも、社会問題に関わり続けるために書き続けたいんです。そのために食いっ逸れるわけにはいかない、という意識で取り組んでいます。